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雨と空

雨が嫌いだ。

雨が降る前は、まず身体が反応する。
身体の中に不純物が流れ込んでくる感覚。
何度味わっても苦痛でしかない。

雨の音が、僕の精神に追い討ちをかける。
どれだけ望んだところで、自分の意思で天気を操る事なんか出来ない。
それとリンクして痛みを感じる身体。

この身体は一体誰のものなんだろう。


そんな思いが脳裏をよぎる。

昔は雨が嫌いではなかった。
雨には雨の良さがあるのを感じる事が出来る余裕があったのだろう。
特に、雨が止んだ後の外の空気は、嫌なものまで全部流された後のような心地よさがあった。

今でもふっとその時の感覚を思い出す。
そして、その後少しさみしくなる。

身体を壊した後も、数年前までは、雨の日も嵐の日も雷が鳴っていても無理やり外で歩いていた。

僕は、傘をさして歩く事ができない。
なので、雨がきつい時はカッパを着て歩いた。

視界は悪く、耳はフードと雨の音で覆われる。
靴はずぶ濡れ。いい事なんて何もない。

いったい何をしているんだろう。

視界がさらに暗くなる。

せめてこの辛い気持ちも一緒に流して。

そう思いながら歩き続けた。

天気には逆らえない。
それでも歩くかどうかは自分が決める事だ。
決めたのは自分。
仕方のない事だ。

梅雨や台風の日、どうしても雨を避ける事が出来ない日は必ずある。
そんな日は、だいたい数日前から知る事が出来るし、心の準備も出来る。
気持ちが沈みながらも、割り切っていた。

それでも、出来る限りは雨に濡れる事は避けたい。なので、雨の日は雨雲レーダーを見たり、外を眺めたりしながら、歩けるかどうかを確認する。
だけど、最終的に判断するのは“感覚”だった。

なんか歩けそう

身体に伝わってくる雨の感覚が、ピタッと止む。
それを感じると、すぐに着替え外に出る。
雨は止んでいる。

よかった

そう思いながら、家の周辺を歩く。
雨が再び降り出すのを注意しながら歩くので
、あまり気分転換にはならない。
でも、歩けないままでいるよりはずっといい。

距離を決めているわけでもなく、決まった時間を歩くだけ。なのに何故か足の運びが速くなる。

不思議だ…

そんな事を考えながら歩く。
晴れの日の倍以上気をつかうので、帰る頃にはヘトヘトになる。

なんとか歩けたな

そう思いながら、家の前まで足を運んだちょうどその頃。

パラパラパラパラ

雨が降り出す。

お、運が良かったな

はじめのうちはそう思っていたけど、それが10回、20回と続くと、何故こんなに都合よくいくんだろうと不思議に思うようになった。

一日中雨の予報の日でも、何故かピタッと止む時間があって、歩き終わったら降り出す。

帰ってきて、ドアノブに手をかけた瞬間に降り出す日もあった。

僕が歩ける時間はたかたが30分程度。
それでも、傘をさして歩く事が出来ない僕が、何年も歩き続ける事が出来ている…
次第に、これは偶然では無いんじゃないかと思うようになった。

そんなある日の事…

祖母から電話がかかってきた。
その日も雨で、ちょうどその“不思議”が起こった直後。
僕は祖母にその事を話した。

すると、祖母はそれを聞くなり

「きっとおじいちゃんがいてくれてるんやわ」

と、何の迷いもなく僕に言った。

その日から数年前、僕が身体を壊してしばらく経った後、祖父は亡くなった。

続く

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