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物語からはじまるショートショート 〜第一回 『あおのじかん』より〜

 彼女がその本を読み終えたのは、夕方五時のことだった。
暖かさと寒さがかわるがわる訪れる、二月の後半。身体が季節に振り回され、気づくと、熱を帯びたまぶた任せに眠っていた。目が覚めてすぐ、なんとなく手に取ったのが、『あおのじかん』だった。まさに青一色で描かれたこの絵本は、読み進めるにつれ、彼女の内側を、同じ色で満たしはじめた。
本から顔を上げると、部屋中に広がる照明の光が、目に入った。どうやらその眩しさにも、換気を怠った部屋の空気にも、身体はもう飽ききっているようだ。
私が求めているものは、これではない。今いる空間との不調和を感じ、彼女は室内履きのままの足で、ベランダへと向かった。

外につながる窓を開けると、風が部屋の中に、するすると入りこむ。ほんの数秒、目を閉じ、その空気を浴びてみる。絵本から身体に移ってきた青色が、今度は、外からの空気と溶け合っているようだ。それらが、身体中ですっかり混ざるのを感じたら、目を開けて、一歩。

くっきりとした、青だ。

視界に広がる景色を見て、彼女は思わず呟いた。色相環から、好きなところをすっぽり抜き取っただけのような単純さで、空が町中を染め上げている。ただ、三日月だけが、切り絵のように白く浮かび、世界の青さを際立たせている。
それにしても、と彼女は思う。それにしても、何もかもが中途半端だ、と。冬でも春でもない季節。新月でも満月でもない月。夕方でも夜でもない、今、このとき。けれど、中途半端なはずのものたちが、彼女の目の前で、ぴたりと収まっている。そのことが、妙に心地良い。

明日は寒いのだろうか。青から紺へと移ろうグラデーションの中で、ふと考える。それとも、ぐんと気温が上がるのかもしれない。月はもうちょっとだけ膨らみ、ほんのひととき分、日が長くなっているのだろう。
だんだん冷えてきた指先を擦り合わせながら、そんな風に、今日の名残りに身を浸す。
青の時間の終わりは、もうすぐそこまで来ている。

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※『あおのじかん』イザベル・シムレール/作 石津ちひろ/訳 岩波書店刊

この連載では、皆さんもお手に取ったことのあるような、既存の「物語」をもとに、新たな超短編小説(ショートショート)を作り出していきます。

次回の更新は、3月20日土曜日の予定です。

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