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第6話 情熱に油を注ぐ 〜小説「包帯パンツ物語」〜

「…て、寺田さん」

親父が口にした名前に慄いた。それは業界では知らない者はいない生地卸商の常務。「何や、コラ、ワレェ!」と南河内訛りの大きな声と荒い言葉が頭によぎる。「業界のドン」と呼ばれていて、この人が発言すると周囲は問答無用で動かざるを得ない。正真正銘の権力者。


「志郎、あのオッサン残っとるなぁ」

「はぁ」

「お前、頭下げるか?」

「え?……いやいやいや、オレは嫌や」

「よう言わんか?」

「よう言わん!親父言うてぇなぁ」

「ほんなら言うてみたるわ」


***


胸騒ぎがする。自分のデスクから極力動かないように過ごす。今日は寺田さんが会社を訪れる日。あの後、親父は周到な段取りで寺田さんとのアポイントメントをとってくれた。「お前も同席するか?」と言われたが断った。寺田さんのことが苦手だから。というか、あの人のことが得意だと言う人と私は今までに出会ったことがない。

「寺田さん、来られました!」

スタッフからの知らせに社内に緊張感が走る。

「親父、頼む!」

心の中でそう強く念じ、手を合わせて応接室に向かう親父を拝んだ。私は背を丸めて席に座ったまま仕事をしているフリをしていたが、意識の全ては応接室で行われる会話に奪われていた。

寺田さんは首を縦に振ってくれるだろうか。もし、頷いてくれたとしたら鶴の一声で工場は動き出すに違いない。包帯生地をつくる方法はもうそれしかない。反対に寺田さんが首を横に振れば、このプロジェクトはもう諦めなくてはいけない。包帯によるパンツは、いや、この数年間かけてきたことの全ては、寺田さんの一存にかかっているのだ。自然と全身に力が入る。

「アホっ、何を抜かしとんねん!
そんなもんできるかぁ!」

寺田さんの怒号が響き、思わず縮み上がる。

「おい、志郎!こっち来い!」

うわぁ、呼ばれたでぇ。脂汗をかきながら、恐る恐る応接室に入っていく。寺田さんの鋭い眼光が突き刺さる。

「お前なぁ、頼みたいことがあんねやったら自分の口から話せ」

深呼吸をする。緊張しながらも、自分が考えていることを一つひとつ言葉にしていった。全身が震えたワールドカップの稲本選手のゴール。アスリートに感動をお返ししたいこと。最高のパンツをつくりたい夢。そのために数百枚のサンプルを穿いてきたこと。汗の問題を突き詰めたこと。積み重ねてきた失敗と僅かな発見。最初は恐々としながらぼそぼそと言葉にしていたが、話しているうちに語気が強まっていった。そう、何年も何年も、毎日考えて試行錯誤を繰り返してきた言葉たちは自然と口からあふれ出した。胸の内を全て述べた時、身体が火照っていることに気付いた。そうや、今喋ったことは、自分の夢なんや。

私の言葉を最後まで聴いた寺田さんが口を開いた。

「アホか、そんなことやってくれる工場なんてどこにあんねん」

身体が固まった。寺田さんは続けた。

「ええか。お前が考えとることをやれるような場所はな、日本国中探してもどこにもない。諦めろ」

そう言って、応接室を出て行った。扉が閉まる音が響く。終わった。全部終わった。寺田さんで無理なんやったら、もう終わりや。諦めな…あかん。言葉ではわかる。この状況も、予想していないわけではなかった。ただ、口から出てきた言葉に自分が一番驚いた。

「くそぉぉぉ!」

悔しい。悔しい。こんなにも悔しいことはない。寺田のオッサンの前で喋った言葉に嘘はなかった。そのことに誰よりも一番驚いていたのは自分だ。自信をもって「夢」だと言える。「叶えたい」と言い切れる。このプロジェクトは絶対に成功させなければいけない。

「あのオッサン、絶対に首を縦に振らせたる」

私の中の〝情熱〟という炎が、紅蓮の火柱を上げた。


【今日の格言】
誰かに反対されて諦めることができる「夢」なんて、本当の「夢」じゃない。



(挿絵:KEI TAKEUCHI)
(テキスト:嶋津亮太


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