また始まる


12月26日(月)

また地獄を見ている。

ビルのロビーに飾られていたクリスマスツリーが跡形もなく消えていた。代わりに自動ドアの両側に門松が置かれていた。クリスマスツリーの豪奢からすると、あまりに質素で拍子抜けした。ししおどしを連想するほどひっそりしている。まだ樹木のイルミネーションはぴかぴかしている。あの光は救いだ。あの光は救いだ、と言い聞かせている。

昨日久しぶりに見た玉川上水の衝撃がいまだ身体の中に残っていて、帰りの電車の中で何度もざわりとした。故郷で玉川上水を夢見ていた頃は今よりもずっと苦しかった。今はあの頃よりもずっと良い状態であると信じているが、それも結局は玉川上水を失ったからそうならざるを得なかったのではないだろうか。

恋人に贈ったクリスマスプレゼントが届いたらしい。ハムの詰め合わせである。年明けに私が恋人のもとに行くことが決まっているので、ソーセージが食べたいなと思っている。


12月27日(火)

一難去ってまた一難である。というか崖っぷちである。

昨夜読んだ太宰治の『走れメロス』の一節 ”中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ” が時々思い出されて歯を食いしばった。

一足先に冬休みに入る上司に良いお年をと言えなかった。

かき揚げそばのかき揚げが食べきれなくてショックだった。


12月28日(水)

仕事を納めさせられた。いつもより2時間早く会社を出されたので、正面玄関の自動ドアから帰ることができた。あまり迷うことなくビールとハンバーガーとした。ファストフードではない。久しぶりにしっかりとした、大好きなものにありつけた。初めて外で、ひとりで酒を飲んだ。遠くまで来たものだ。電車で爆睡した。外で酒を飲んだとき、すぐに眠れないところが難点だと思っていたが、電車という手があるのだなあ。バッカスアイスを買って帰った。荷造りをした。明日実家に帰るのである。下着とジーンズだけ持ってくればいいと言われている。シャワーを浴びて、仕事をチラ見した。なんとかなっていそうである。バッカスアイスを食べた。締めはラーメンよりアイスだ。これから年末年始に読むための太宰治の文庫本を選ぶ。『お伽草子』かな。


12月29日(木)

雨戸を閉めるかどうか迷って、結局閉めた。帰ってきたら寒いだろうが、窓ガラスが割れるよりは寒くないだろう。

さっさと家を出て空港に向かった。どこで乗り換えても座れた。赤子を抱っこひもで抱えた女性がいて、赤子が女性のマスクをしきりにむりしりとっていた。女性は何回でも面白そうにむしりとられていた。昨日職場で産休かつ契約期限切れの人を見送った。一度も顔を見なかった。声と成果しか知らない相手に祈る。どうか元気で。

飛行機が35分遅れるというのでタリーズのチャイをいただいた。空港が暑いので冷たいほうにした。スパイスの粉で何度か咽せた。粉っぽくないスパイス入りの飲み物にありつけない。後ろのベンチで子どもが「水には興味ない」と言う。

飛行機から降り立った地で幼馴染と会った。幼馴染が結婚したと言うので会おうと思ったのだ。幼馴染は相変わらず綺麗だった。結婚式に私を筆頭で呼びたいと言う。私は念のため友情を確認した。こうして言質を取らなければ安心できないことにも、言葉さえ手に入れば安心できることにも、なんて浅はかだろうと思った。私は幼馴染の愛を疑っていたことを恥じなければならなかった。今後は誠意を尽くしていこうと思った。


12月30日(金)

金柑の甘露煮と栗きんとんを作った。金柑の下処理が好きだ。へたを取る、半分に切る、種を取る、重さを計る、砂糖の量を計算する。これらのどの工程も順序をあべこべにしてはならないところが好きだ。

断続的にピアノを弾いていた。帰省するたびに弾いているとはいえ、どんどん指が衰えていく。特に人差し指の先端の肉付きが圧倒的に落ちている。


12月31日(土)

なますを作った。

幼馴染の実家で幼馴染の両親の話を聞いていた。こんな小娘に一生懸命話しているところを見ていると、皆寂しいのだと思った。実際、本人も寂しいと言った。何年も会っていなかった、しかもこんな小娘にまで寂しいと言える寂しさが侘しかった。

家族全員で人生ゲームをした。こんなに楽しく全員でゲームをしたのはいつ以来だろうか。私は百人一首もしたかったのだけれど、それとなく無視された。

毎年紅白歌合戦を観ていたが、母が飽きたと言うので観なくなった。代わりにクラシックを聴いていた。

年末は寂しい。終わりでいいのに。でも生き延びた。生き延びました。それでいいと、誰かに言ってほしかった。


1月1日(日)

何もしなかった。

会いたい人がいる。どのように誘おうか考えている。



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