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慎ましくあれ


3月5日(日)

いつもより目が覚める時間が1時間遅かった。起き抜けに恐ろしいことを思い出した。もうどうしようもないことで、あとは運次第だ。思い出しては心臓がヒュッと縮まった。運の良し悪しは月曜日の朝に判明する。

11時くらいまで布団にくるまり、眠ったりSNSを見たりした。このようなことはたまにある。疲れているのだろうと思った。しかしこの疲れは昨日までの楽しさによるものだから、気分は悪くなかった。昨日は友達と全力で遊んで、全力で楽しんだ。その証明の今日だった。寝転がりながら羊羹とゼリー飲料を摂取した。途中で起きて、食パンを1枚食べた。スーパーで最も安い食パンだが、なかなかいける。カーテンを開け、ラジオをつけ、また寝転んだ。

15時過ぎに起きだして弟に連絡した。今日は弟に連絡する約束だったのだ。Discordで通話し、彼が今プレーしているゲームの様子を見せてもらった。彼がぜひとも迎えたいというキャラクタのドロップをお祈りしながらプレイを鑑賞していると、そのキャラクタがドロップしたので2人で絶叫した。そういえば昔、私が同じゲームをプレイしていたとき、やはり私がぜひとも迎えたいキャラクタがいて、弟に見守られながらプレイしたところ、お迎えできたという出来事があった。また、彼の近況を聞いた。彼は一人称が「私」であるところと、何より話が面白いところが良い。

弟との通話を終えてすぐに弁当を買いに出た。なんとなく肉屋の弁当が食べたい気分だったのだ。それは回復の兆しと思われた。何しろ、肉屋の弁当はおいしいが、味付けが濃く、量が多い。いつもは働く男性の行きつけ弁当屋のような位置づけだ。それをわかっていてなお食べたいと思うなら、心身ともに生きようとしている証だ。
のり弁当にしようと思って外に出たが、歩いている最中にから揚げ弁当が気になり始めた。いずれも頼んだことはない。最終的にはから揚げ弁当を頼んだ。から揚げは食べられるうちに食べておくべきだと考えたからだ。
弁当のメインは注文されてから作られる。から揚げ弁当の場合、注文されてからから揚げを揚げる。肉屋のそばに立っていると、から揚げが揚げられている匂いが強烈に漂ってきた。その匂いは叔父が作るざんぎ(北海道のから揚げみたいなもの)のそれに似ていた。叔父が作るざんぎは、母のそれよりにんにくと醤油の量が多い。叔父の料理は祖父母の家に集まったときにしか食べられない。私は小さいころから叔父のことが好きだった。叔父は私の知る限りの親戚の中では最も背が高いため、彼に抱っこしてもらうと世界が広く見えた。車の運転がうまいので、彼が運転手だと嬉しかった。もう随分叔父に会っていない。そんなことを考えていたらから揚げ弁当が渡された。
家に帰って弁当を袋から出すと、弁当のふたがまったくしまっていなかった。そもそもしめる気がない。大きなから揚げが転がることを防ぐためにふたをのせ、輪ゴムで止めているだけに過ぎない。底の深いパックにしようとは微塵も思わないらしい。タルタルソースと和からしが入っていた。この肉屋は必ず和からしを付ける。ただのからしではなく和からしであるだけに、とんでもなく鼻にくる。わさびのツーンとは別種で、舌の奥と鼻の奥がカッと熱くなったかと思うと、刺激が口内と鼻腔内にじわあと広がる。から揚げはおいしかった。叔父のざんぎとは似ていなかった。

から揚げ弁当を食べながら、ポッドキャストを聞いた。いつもはラジオを聞いているが、日曜の夜のラジオはまったく面白くない。代替として、昔よく聞いていた人のポッドキャストを聞くことにしたのだ。変わらず、面白かった。お便りを送ってみようと思っている。日曜夜はポッドキャストを再開しよう。

ビールが飲みたい。飲んでしまおうかと思う。日曜夜はいつも飲まないことにしているが、なんかちょっと、どうしても飲みたい。


3月6日(月)

昨日思い出した恐ろしいことは、考えうる限り最高の状態で問題なく切り抜けた。助かった。生きた心地がしなかった。

それからは難なく仕事をした。軽い気持ちでこなす仕事はさっさと終わるものだ。いよいよやることがない。

Instagramで拾ったレシピでおかずを作ったらおいしかった。豚肉とじゃがいもとピーマンをじゃんじゃか炒めただけだ。久しぶりにレシピをノートに書き写した。そろそろフライパンを買い替えるべきである。

爪を塗るかゲームをするか迷うところだ。爪を塗りながらゲームをすればよいのか?


3月7日(火)

春は何人たりとも森山直太朗から逃れることはできない。3月に入ってから今日まですでに『さくら(独唱)』を3回も耳にしている。小学校を卒業するとき、この歌を合唱することに決まった。私は伴奏に手を挙げた。この歌のことは嫌いではないが、同級生と共に歌いたくはなかったのだ。またこの場所で会おうなんて、百に一つもあり得ないと思っていた。

上司はたまに助詞に対してとんちんかんになることがある。助詞が滅茶苦茶な文章というのは、信じられないくらい理解できない。「に」とか「の」とか、たった一文字なのに、全然わからない。あまりに面白くてげらげら笑った(テレワークです)。

祖母から手紙が届いた。断捨離をしているようだ。

恋人からホワイトデーの贈り物が届いた。ロイズの詰め合わせである。今は桜味のお菓子が盛り上がっているらしい。以前私が好きと言ったお菓子がどれもきちんと入っている。というかそれが大量に入っている。カルピスが好き、と私が幼少の頃に呟いたものだから、欠かさずカルピスの原液を何本もストックしている祖母のことが脳裏によぎった。
恋人と付き合ってから、ロイズはチョコレートばかりではないということを知った。前回はマカロンが入っていて驚いたものだが、今回に至ってはシャンパンが入っている。シャンパンが練り込まれたチョコレートではない。シャンパンである。恋人と飲むことにしよう、と冷蔵庫に入れたが、果たしてシャンパンは恋人に飲ませてよい酒なのだろうか。恋人はワインで無様な酔い方をする人間である。


3月8日(水)

シン・エヴァンゲリオン劇場版のBlu-ray発売日だった。Twitterでそれを思い出した私はすぐさま購入ボタンを押した。本当は予約するつもりだった。予約しようと公式サイトを開くと、購入する店舗ごとに異なる特典が付いてくると言う。面倒になってやめた。私はグッズに全然思い入れがない。結局今日購入したものにも特典は付いてくるのだが、描きおろしではなく、映画のワンシーンショットをポスターカードにしたものだから、安心して買えた。描きおろしの新規立ち絵はどうしても解釈不一致なのだ。

午後、室温が上がりすぎたので窓を開けた。自室は贅沢にも日差しがたっぷり注ぎこまれるので、晴れの日はすぐに暑くなる。春になってから室温を下げるために窓を開けたのは、これが初めてだった。すぐに涼しい風が吹きこんできたが、寒くはなかった。
春に窓を開けると思い出すことがある。恋人が初めて私の部屋に来たときのことだ。私はどうしても所用で1時間ほど外出せねばならなくて、なるべく早く戻るからと言って、恋人を部屋に待たせた。なるべく早く帰宅して、ただいま、と玄関に入るも返事がない。不思議に思って部屋に一歩踏み入れると、部屋が異様に綺麗になっていることに気がついた。窓が大きく開け放たれていて、レースカーテンがひらひら揺れていた。私の机の上には、出かけるときにはなかった、私が欲しいと言っていた本が置かれていた。当の恋人はベッドで大の字になって眠っていた。つまり、恋人はこの1時間で部屋中を掃除し(私の名誉のために言っておくが、もちろん恋人が来る前に掃除はしてある。恋人の掃除力のほうがはるかに上だということだ)、換気のために窓を開け、私へのサプライズプレゼントをスタンバイし、満足して眠ったというわけであった。それがちょうど、今日のような春、晴れて穏やかな日のことだった。
この話は何度も書いていると思う。しかし、何度書いてもかまわないはずだ。

ホワイトデーの贈り物が一つ「ロイズさくらちょこまん」がとてもおいしかった。皮にも餡にも桜要素が練り込まれているので、どこにチョコレートが混じっているのかまったくわからなかったが、大変おいしかった。公式サイトによれば皮にホワイトチョコレートが練り込まれているらしい。餡の中の白いものがそうかと思っていたが、それは練乳餡らしい。
こういうものを食べていると日本茶に手を出そうかと本気で考える。日本茶の店と和菓子の店がどちらも近くにあるのがいけない。日本茶に手を出すならぜひとも電気ケトルが欲しいが……あ~~~

れんこんのきんぴらを作った。途中でレシピを無視して砂糖、しょうゆ、酒を1:1:1で混ぜた。本当はしょうゆが多くて、酒が少ない。でも、そんなにしょうゆを舐めたくなかったのだ。突然このようなことをする自分にはしばしば驚かされるが、このようなことができるとうれしい。

私は、れんこん、大根、しょうゆ、だと思うのだが、恋人は、レンコン、大根、しょう油、だと言う。


3月9日(木)

れんこんを蒸したらおいしかった。明日もそうする。

突然パン屋のパンが食べたくなったので、昼休みに入った瞬間に外に出た。最近はこういう衝動で比較的小さなことであれば瞬時に実行できるようになったので、随分柔軟になったものだと思う。

初めて森鷗外の本を1冊読み切った。新潮文庫の『山椒大夫・高瀬舟』という本で、『山椒大夫』と『高瀬舟』の他にいくつか短編が盛り込まれた、初心者に優しい本だった。面白いとか面白くないとか、そういう観点からははずれたところにいると思った。思想だと思う。物語にしろ私小説にしろ、思想の面が表に出てきやすい人だと思う。

シン・エヴァンゲリオン劇場版のBlu-rayが届いた。即座に開封し、両手で持ってみたら、しばらくそのまま動かなかった。意外と感激していたらしい。明日観る。

パジャマを2段階薄いものに切り替えた。3日前くらいからそうするべきだと考えていた。しかしながら、いつものパジャマ切り替えタイミングにはまだ日数があった。3日考えて、そのルールを破ることにしたのだった。こんなことに3日も、少ないながらも脳のリソースを取られていたなんて滑稽だと思うが、だけどこんなことがうまくすぐにできない。それでも柔軟になったほうだ。


3月10日(金)

歯に関係する夢を見た。母の教えの中に「歯の夢は縁起が悪い。その日は良くないことが起こる。しかし、誰かに『縁起が悪い』と言ってもらえば、その夢はなかったことになる」というものがある。よって、今日も目が覚めてすぐ母に「歯の夢を見た」というメッセージを入れた。これまたすぐに「縁起が悪い!」という返事がきた。私は安心して起床することができた。

上司「いやあごめんごめん。ちょっと『社長と愉快な仲間たち』の『仲間たち』になっててさ〜」

キャロットラペを作った。にんじんとレーズンと食塩不使用のミックスナッツがあったからだ。なんとおいしい。実はキャロットラペのことが大して好きではなかった。私の味覚が悪いのか、そんなにおいしいものではないと感じていたのだ。ところが、今日はおいしい。勝因はにんじんの細さだ。細ければ細いほど良い。私の味覚のせいではない。わかりました。


3月11日(土)

清美タンゴールが売られていた。春だ。食べたかったが、新生児の頭くらい大きかったため、見送った。半分ずつ食べればいいのだろうけど、ラップしても断面の乾きが気になって、できない。代わりに小さいデコポンがやたらいっぱい入っている袋を買った。春だ。

素敵なワンピースまたは靴が欲しくて、1人で街に繰り出した。自分のためだけに買い物に出るとは異例のことだ。しかし、欲しいものと金額の狭間で苦しんだだけのことだった。もうプチプラはまるで似合わない。かといってブランド物を買えるだけの勇気がない。4万円のワンピース。よくわからない。途中、着物の話を聴く。ポリエステルの着物なら5万円で仕立ててくれると言う。4万円のポリエステルワンピースと、5万円のポリエステル着物。俄然着物のほうが気になってくる。疲れたのでクレープを食べた。久しぶりにクレープを食べたからか、皮が分厚く感じた。うまい。後悔するなあ、と思う。このあとちゃんと後悔する。

街で何も収穫なく帰ってきた。図書館に寄った。狙っていた2冊がどちらも貸出中だった。片方は三島由紀夫の『金閣寺』だ。それはまあ仕方ない。もう片方は中学生のときに読んでいたライトノベルだ。前回1巻を借りたので、2巻を借りるつもりだった。この地域のすべての図書館で貸出中だった。私の通う図書館に至っては閉架なのに。私のような人間がこの地域に少なくとも5人以上はいるらしい。古のオタクの戦いだ。オタクなら買え。すみません。川上弘美を3冊借りた。

カルパスって異様にうまくて怖い。




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