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超訳 二水遺稿〜5曲目「A day in the life」

BGM ビートルズ「A day in the life」

二水について問い合わせしたら、懇切丁寧な返信が高岡市立博物館の学芸員の方からあった。いろんな資料を添付して下さって本当に感謝している。不明なことがあれば、またご連絡下さい、とのことなんでまたするでしょう、多分。。

僕の拙いこの 超訳 二水遺稿も読んで下さったようで、恥ずかしい限りだ。

頂いた資料からわかることは、当時の富山の漢詩人は皆繋がっているということだ。漢詩だけではない。政治でだ。

高岡市立博物館からの添付資料に富山の漢詩人達の名前がある。

「明治時代になると,政治家の多くは漢詩を嗜(たしな)んでいるが,中でも大橋二水(にすい)(本名大橋十右衛門,『二水遺稿』)・島田湘洲(しょうしゅう)(島田孝之『湘洲詩鈔』)・内山外川(がいせん)(内山松世『日章旗影』)・岡崎藍田(らんでん)(『燕鴻越鳥詩草(えんこうえっちょうしそう)』)・片口江東(『江東百絶』『江東詩鈔』)・菊池天来(てんらい)(『天来詩集』)・藻谷海東(かいとう)(『海東遺稿』)・金岡春荘・金山従革(じゅうかく)・国重半山(国重正文)らは有名。明治期の越中の漢詩人のほとんどは木蘇岐山(きそきざん)の教えを受けているといわれる。なお『越中古今詩鈔』で江戸から明治・大正時代までの越中の漢詩を通覧できる。」

例えば、島田湘洲とは明治15年、越中改進党を作って自由民権運動を展開した。内山外川、岡崎藍田、藻谷海東、片口江東も衆議院議員。犬飼毅との縁も自由民権運動絡みで、二水と犬飼は早い時期に出会っている。

まあ、考えてみたら当たり前で、明治大正時代の漢詩は教養なんで、政治家たるもの漢詩が出来ない訳はない。

この辺の漢詩人と政治の絡みはあまり掘り下げる必要もないかもしれん。

ちなみに江戸から明治大正時代の越中の漢詩を通覧できるという『越中古今詩鈔』だが、祖父の名前も見つけた。ちょっと嬉しい。

『越中古今詩鈔』古書店で10800円で見つけたけど、高いよなあ。。うむむ。欲しいけどなあ(悄然)

後、高岡市立博物館からの資料から二水の生き様もぼんやり見えてきた。

禄高五千石の豪商の家に生まれながら、郷土の教育、政治、事業に全財産を投じた二水。酒食に一切金を使わず万余の詩を吟じて世を去った。

青蓮の再来と呼ばれた二水は、写真を見ると何とも優しそうに見える。昔はこういうキチンとした「大人」が確かにいた。


春畫

日暖深遠玉漏遲 治花嬌鳥惹相思

画廉不動春如海 一片春愁入眠時


超訳

暖かい春の日はずるずる僕が沈んでいく。

時が止まる。

花たちも鳥たちも。静と動が互いにそのままで。

時が止まる。

春の海の穏やかさそのままのように。

動かない。

絵のように、時が止まる。

僕はウトウト眠くなる。ずるずる沈んでいく。

何故かチョッピリ物悲しくなる。


I read the news today, oh boy・・中学の頃、文化祭でこの曲をピアノで弾き語りした。

当時好きだった女の子一人のために弾いた。ませたガキだった。

それから幾つも恋をした。

ただあの時にピアノに向かった心の昂ぶりはもう二度となかった。

純粋だった。


Painter kuro

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