僕は東遊園地に行けなかった

どうも。元芸人のユースワーカー今井です!

1.17

阪神・淡路大震災が発生して26年が経ちました。

僕は、舞子高校環境防災科に入学した高校1年生のときから、毎年1月17日の5時46分は、三宮の東遊園地の追悼式に参加していました。

高校1年の時は、一応任意参加だけど、行くでしょって雰囲気だった気がします。
ろうそくで火をつける点火式を担当してた気もします。
舞子高校環境防災科の生徒だし、防災のこと、地震のこと考えてるよねって感じで取材なんか受けてたような気もします。

なんせ、5時46分なので、毎年行けるんですよね。
高校時代は、そのあとの授業眠たくて仕方なかった気がしますし、大学時代も眠すぎた気がしますし、社会人になっても眠すぎた気がします。
それでも、毎年1月17日は、東遊園地に訪れていました。

ここ数年、なんで追悼式に行くんだろう?
僕は誰に手を合わせているんだろう?
黙祷で誰に思いを馳せているんだろう?

そんなことを考えることが多くて、複雑な気持ちで東遊園地に行っていました。
でも、高校の先輩や同級生や後輩、東日本大震災の支援を一緒に行っていただいた大人の方々と毎年この日はこの場所で会う。
なんとなく、僕の生きる道筋を正してくれる場所のような気もしていました。

2021年。
新型コロナウイルス感染症が猛威を奮い、緊急事態宣言の発令下で行われた1.17追悼式。
僕は、東遊園地に行きませんでした。

僕に行く資格があるのだろうか?
もし、入場制限がかかった時に僕が入ってもいいのだろうか?
僕よりもこの場所を必要としている人がいるんじゃないだろうか?

そんなことを考え続けています。
1.18の今日も、まだ、この選択が良かったのかどうかもわかりません。

僕は、1995年1月17日は、父方の実家である奈良にいました。
母方の実家である神戸では、祖父母が被災。
その後、神戸に引っ越し、幼稚園からは基本神戸で暮らしています。
そう、僕は、阪神・淡路大震災に関心はあるものの、関係性が深いわけでもないんです。

震災を経験していない人が語り部になり、震災を語り継ぐ。
そんな団体が注目されています。
1.17希望の架け橋
https://www.instagram.com/kibono_kakehashi/

震災から26年。
なぜ、震災を語り継ぐのか、なぜ、阪神・淡路大震災があった1.17にイベントや追悼式があちこちで行われているのか。
その根本である感覚をしっかりと見つめないといけないなと思いました。
彼らの活動が素敵で、応援しつつも、自分が体験していないことを伝えるってことの難しさや違和感みたいなものを今までも感じてきたので、彼らがそのあたりとどう向き合い活動しているのか、またお話聞かせていただきたいと思いました。

僕は、阪神・淡路大震災を歴史かつ文化として残していきたい気持ちが強いです。
僕らが生きている神戸は、色んな歴史の元で出来上がっている。
異人館があることにも意味があるし、山と海に挟まれていることにも意味があるし、外国人居住者が多いことにも意味がある。
その歴史に強く刻まれているのが、阪神・淡路大震災で、その対策や教訓と言われるものが文化として根付く。
そんな形が理想なんじゃないかな?と思います。

その感覚なら、被災者じゃない僕にもできるんじゃないか?

いや、やらなければいけない。


おしまい

PS.
夕方、家族で東遊園地に行きました。
何にかははっきりとは分からないけど、手を合わせました。
いつか、強い意志を持って手を合わせたいな。

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