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僕の人生を変えた3人の話

どうも!元芸人のユースワーカー今井です。

今回は、イベントレポート!
2021年3月6日に開催されたオンラインイベントに参加した感想です!
とはいえ、ほぼ僕が東日本大震災と関わった10年を重ね合わせた自分の振り返りになりそうな気がします。

南三陸町出身3人によるオンライン語り部企画
#南三陸の3人語り部するってよ

イベントタイトルの通り、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町出身の3人が10年目を迎える今、オンラインで語り部を行うという企画。
当時、中高生だった彼らは、高校生・大学生になり語り部を始め、10年経った今も語り続けています。

そのうちの1人である佐藤慶治

僕と同い年の彼は、僕がやりたいと思っていた被災地ツアーを企画していて、自身の語り部とまち歩きを行っていました。
そこからも、南三陸のことをずっと好きでずっと関わり続けていたことを、ずっと遠くで最高だなと思いながら見ていた気がします。

僕の2個下の彼女は、完全に僕の人生を変えた人。
4万人の中の1人でしかないんだけど、生きることに直面させてもらい、僕の周りの多くの若者が、彼女の語り部で人生を見つめ直しました。
今も、僕が悩んだときにいつも思い出す彼女の話を、今回もう一度聞くことができました。

僕の4個下の彼女は、僕と一緒に出た、活動を支援してもらうためのプレゼンで、ダンスを踊っていました。ガチガチに緊張していた僕は、衝撃を受けました(笑)
それこそが、「トコヤッサイコンテスト」の復活の始まりでした。
彼女の語り部もまた、僕や僕の周りの多くの若者の人生を変えました。

3人との出会い

3人と出会ったのは、2013年6月。
アショカジャパン東北ユースベンチャーのパネル審査会でした。
若者の活動を支援する取り組みで、僕も東北へのバスツアーで応募しました。
今でも何で受かったん?というぐらい、内容ぼろぼろのクソプレゼンでした。でも、そこには、プレゼンを一緒に受けた美南が居て、そのプレゼンの司会をしていた慶治が居て、祐梨が居ました。

僕のプレゼンの概要は、初めて東北に行く人を限定に関西からバスツアーを出します!という内容でした。
でも、行く場所もやることもなーーーんにも決まっていませんでした。
そこで、司会をしていた祐梨からの一言

「南三陸町に来てください!」

即答で、行きます!と答えた僕は、2014年3月震災から3年後となるタイミングで、”初東北訪問者限定ツアー”を開催しました。

この日、3人に出会ったことで僕の人生は本当に大きく変わりました。
その変化のお話を。

パネル審査会での出会いと自分事

2013年6月のパネル審査会は、なんと東北福祉大学が会場。こんな形で被災地に行くのは初めてでした。
僕が東日本大震災の支援に関わったのは、震災の1か月後の4月頭。
当時通っていた兵庫県立舞子高校環境防災科という防災を専門に勉強する学科から、ボランティアバスが派遣されることになり、そのメンバーの一員として参加しました。その後、5月・7月と被災地を学校からのバスツアーで訪問しました。
大学に進学してからは、2012年の夏に先輩の紹介で宮城県東松島市の夏祭りのお手伝いへ行きました。
この4回の被災地支援活動に、僕は大きな後悔をしています。

簡単に言えば、ずっと現実味がありませんでした。
最初に被災地に行ったときに感じたことは、「映画みたい」
僕は、クラスメイトと15時間バスに揺られ、テンションがハイだったのかもしれません。
非日常に溺れていました。神戸に帰れば、変わらない日常。
このギャップに向き合えず、ずっと

どこかのまちで起きたこと

と、思ってしまっていました。

でも、2013年6月彼ら3人を含む多くの被災した同世代と出会い、仲良くなり、被災体験や活動を聞いているうちに、

友達が被災した
友達のまちで起きたこと

に、気持ちが変わっていきました。

そこからは、非日常なんかじゃない。友達の日常に何かできないかと考え、被災地支援を行い続けました。

僕が関わるバスツアーの多くで南三陸町を訪れ、僕の友達やその友達もまた、語り部を聞いて人生を見つめ直しました。

僕は、今、ユースワーカーとして働いているのは、彼らと出会い感じた、

どう生きるのか

という気持ちに向き合い続ける答えです。
そして、多くの若者が、この問いに出会う機会を作り、人生を見つめ直してほしいんです。


どこがイベントレポートやねん!!!

ごめんなさい。

イベントは、オンラインでの語り部ということで、当時の写真をスライド形式で見せていただきながら聞きました。
3人がそれぞれ40分ほど話し、20分ほど質疑応答。
かなりヘビーな内容でした。涙を流し続けていました。

1人目は慶治
印象に残っている言葉

無理だと思った町がこうやって
生まれ変わるんだって思った
震災1年後は、
こんな風に10年後を迎えると思っていなかった。

震災後、自身の苦しみと向き合い、そして地元に思いを馳せて活動し続けてきたからこそ感じることだし、そんな彼だから、多くの人に出会い、影響を与え、感謝し、10年後を迎えたんだと思いました。

2人目は祐梨
印象に残っている言葉

ありがとうと大好きは魔法の言葉
当時と10年後の今と
語り部の内容も思いも変わっていない

彼女のこの言葉に、僕の人生は大きく変わりました。防災をしようとか災害への備えをとかではなく、大切な人に大好きとありがとうを伝えよう。そんな当たり前のことが急にできなくなる。大切な人が明日いなくなるかもしれない。その思いを改めて聞いて、また自分の人生を見つめ直すことができました。

3人目は美南
印象に残っている言葉

語り部は当時のことを思い出さないと行けない。
何度もやめたいと思った。
でも、震災を知らない人たちにどんなに嫌だと想っても、
地元は大切なんだと伝えたい。

最初は本当に嫌だったという語り部の活動。でも、彼女が語り部をしていてくれたから、僕は出会い、人生が変わった。
そんな彼女の語り部を聞いて、苦しみながら話してくれた思いを聞いて、何もせずにいるなんて失礼だと思う。


総じて、僕にとっては、とても大切な時間になりました。
これ、全員に聞いてほしい!!!!!!!!
そんなこんなで、僕のイベントの宣伝でもしておきます。

3.13に震災から10年のオンラインイベントやります

東日本大震災から10年〜僕たちは何を語るのか〜

3月13日 15時~17時
@Zoom

今回の2人目の語り部である祐梨を始め、高校の後輩で岩手県釜石市に移住しちゃった力也や、慶治と一緒に南三陸でカードゲームの大会を開催している一雄ちゃん、高校の後輩で被災体験の有無や程度に囚われない語らいの場を提供するもえちゃんがゲスト。

それぞれの10年を、"人生が変わった"をベースに振り返ってもらいます。

めちゃくちゃいい時間になると思うので、是非。
↓予約↓


おしまい。

P.S.
なんも考えずに生きていた大学1年生までの自分に後悔しかない。
日常にもてあそばれて、大切なものに気付けていなかった自分がムカつく。
そんな当時の自分みたいな若者が多すぎる世の中。
地震があってもコロナがあっても変わらない。
僕は自分の原動力にようやく気付いた10年目なのかもしれません。

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