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どうもありがとう、仕事をはじめます

禿げにこだわる気持ちがゆるんだというか
禿げてもいいやと思うようになってきた
禿げない方が楽ではある
それは生えてる感ある方が目立たないような気がするからだ
社会的に「だいたいこういう人」って思われる感じが
ふつうの女性、っていう枠組みだと助かる
それはもちろん自分があんまり普通ではないという自覚と
できればひとからおこられたりきらわれたりしないで
そっと、うまくやっていきたいという希望があるためである

それから、私はとにかくかぶりものや装飾品を身に着けておくことが苦手である

そのため、身軽に動ける「頭髪付き頭」はとても便利だった
頭髪が取り外し式になると、頭になにか載せている状態を一日中いじしなければいけないから大変なのだ

右利きは左利きよりも命が短いのは
日々、右利き社会でちょっとした不便をつみかさね
それがストレスとなって命を縮めるという理屈であるらしい
それほんとの話かどうか知らないけど

できるだけ日々のストレスが少ない方がいいと考えて
私はストレスを先取りして禿げを防ぐために躍起になっているのだ

いつまで禿げの話をしているのかと人々は思うかもしれない
抗がん剤ちりょうをするまでは、頭髪について悩んだことはなかった

いまこうして書いてて気づいたが、いまも悩んでるな
まあいい、こうやってじりじり、行ったり来たりして移動していくんだ

悩んでていい、書いていい、
決めないといけないときは決めろ、それ以前まで考え続けていい
そういう人間でいる自分を自分で許容できるならそれでいい、
けど、好きな人に迷惑をかけない程度にするのは大事だ
(私は好きな主治医の診察を出禁になった
やんわりとだが、結局、疲れさせたというか、迷惑をかけたんだと思う)

そのことについても悩んでいい、
悩んでもう同じことをしないように気を付けてもいいし
なんにも考えないでまた好きな人に嫌われても仕方がない
(迷惑はかけない方がいいけど)

今日も書く瞑想は好調だ
つまり、何も実のあることはかけていないように思えるけど
瞑想だからいいんだ、水をかいにいって仕事をはじめようと思えてきた
どうもありがとう、またね

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