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2023年6月の私と、『ゆれる』。


『ゆれる』を読んで、今まで北嶋さんや楽曲に対して考えたり感じてきたことについて、やっぱりそうだったんだと答え合わせが出来たり、「私があの時感じたものは、北嶋さんが持ってるこういう部分から発せられたものだったんだな」とわかったり、単純に自分とまったく違う人生を歩んできた人の記録や感覚として「そうなんだ」「そんなことがあったのか」と受けとめたり、重なる当たり前や大切を見つけて頷けたり苦しくなったり、ああこんなふうに思っていてくれたんだ、って泣いたりした。

あと、なんなんだその言い回し、北嶋さんだなぁと思ってたくさん笑いました。ほんと好き。

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(ここからはかなり自分語り強めの感想です。)

途中まで読んだ時点から、わりと当たり前のこと書いてあるな、と思った。そして世間一般の当たり前ではないものの、北嶋さんが書いていることが、わかるというか少し似た経験をしたり考えたりしたことあるな、という部分がいくつかあった。なんかこういうふうに書くと自惚れるなという感じもするが、そういう話ではない。むしろ自惚れを排したい。

この同感・共鳴のような感覚は、北嶋さんの音楽を聴いている時にたびたび感じるものと同じだと思った。大抵苦しくて痛みを伴う。ただそれらはすべて、北嶋さんにとっては「音楽」にまつわることで、私にとっては「生き方」や「自分の存在」にまつわることだという違いがあるんだとわかった。ようやく。(北嶋さんは音楽に人生を捧げているから近いことなのかもしれない、けど違いは違いである。)

これは、たぶん今じゃなきゃわからなかった。同感・共鳴は、それが起きた時とても強烈で、重なる部分しか見えなくなる。自分が(世界に取り残されたような)孤独に苦しんでいればいるほど、「同じ気持ち、同じ考えの人が私以外にもいるんだ!」と、ただそれだけでうれしくなる。報われたような気分になる。きっと凛として時雨や、TK from 凛として時雨の楽曲を、多少なりともそう感じながら聴いている人がいると思う。私はずっとそうだった……過剰なほどに。

でも絶対に、重なりの外側、見えていない部分があるはずだって、最近ずっと考えて、探していた。ただ「同じだ」とよろこぶだけで満足出来なくなったから。同じ・似てるところだけを見て思考停止したくない。「北嶋徹」という人に、自分や、勝手な理想像を重ね合わせた部分だけを見て、錯覚していたくないと思った。だから『ゆれる』を読んで、やはり重なる部分があるということ、そして今まで見えていなかった部分を知覚出来たことは、私にとって物凄い収穫だった。

そして、そうやって色濃く重なる部分があったからこそ、私は心から彼の音楽・作品を好きになって、「ずっと聴いていたい、ずっと見ていたい」と思い続けてきたんだなぁと思った。今まで何度も何度も助けられて、一筋どころじゃない光を差してくれた。

「あなたの音楽がずっと私の光です」って、北嶋さんに宛てた手紙に書いたことがあった。話は飛ぶが、私は最近、自分の作品のために過去の自分を振り返って、苦しんできた理由とか、本当に願っていたこと、欲しかったものを改めて今の私が言葉にして自分の中に落とし込んだ。失くしかけて、心が壊れながら、それでも本当は何より大切にしたくて必死に手放さないようにしていた考え方(生き方)を、北嶋さんは作品をつくる上で絶対的に大切にしている。それが楽曲に表されていたから、感じとることが出来たから、彼の音楽は私の光になった。そこに自分が持っている光を重ね合わせることが出来た。私の人生において、もう決して失われることのない光、見失うことのない星。

こないだ自分の作品を作り終えて(自分と向き合って)から読んで、本当によかったと思う。あと、読むまでなるべく内容にも、人の感想にも触れないようにしたことも。

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しかしあれほど濃密な内容を読んでおいてすぐに、80歳になったら『ゆれる2』(←絶妙にダサい)を出してほしい、などと思った。なぜなら私が知りたいことの半分も書かれていなかったから!(強欲)

まあ「半分も」は言い過ぎかもしれないが。意図的かどうかわからないけど、2014〜2017年あたりのことがほとんど書かれていないのが気になった。その数年も含まれる「随分と長い年月」のことを、私は物凄く知りたい。あの頃の北嶋さんをこの目で見てきたからこそ、彼は何を思って生きて、もがいていたのかを、もっと知りたい。

だけど、今はまだちょっと……ってことなら、あと40年だって待ちますよ。“最期”の約束までしてくれたのだから、それまでの間もその先も、たくさんの時間を共にしていたいってことです。

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写真は、ナトリミックオレンジに照らされた読みかけの時間。

成田へ向かう飛行機の中で読み始めたことや、夜行バスの中から見る真夜中の高速道路とか、薄曇りの朝焼けとともに読めたの、この本とゆっくり旅が出来たみたいでよかったな。集中しても本を読むの遅い方だけど、その分たくさんの景色と一緒に初めて読む瞬間を思い出に残せた。時間がかかるのもいいなって、久しぶりに思えた。きっといつか、もっと長い月日が経ってこの本を読み返した時に、初めて読んだ瞬間を、一緒に旅をした時間を、必ず思い出せる。

Yureru talk showも楽しみ。質問考えなきゃ!

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