エトセトラVol.8 特集:アイドル、労働、リップ

エトセトラVol.8を読んだ、私なりの感想文です。本当は全てのトピックについて感想を述べたいのだけど、今回は特に印象に残っているトピックについての感想です。

まず前提として、私は今、特定のアイドルに対して「推す」「応援する」という感覚がない。「推す」「応援する」とはつまり「特定のアイドルが活動を継続できるよう、金銭面や精神面で支える」ことだと認識している。
私は、アイドルに限らず自分以外の人間について、等しく他人だという認識を持っている。特定のアイドルの考えや活動に関して、こうであってほしい、こうあるべきだという願望をあまり持ちたくないし、押し付けたくもない。そのアイドルのプライバシーに関わる内容も、本人がファンに開示しない限り、知りたいとは思わない。
私が特定のアイドルのライブに行ったり、グッズを買ったりする理由は「そのアイドルの、歌やダンスやお芝居などの活動に興味があるから」だ。つまり、オタク活動の主体は自分自身。そしてなるべく、ファンのためではなく、自分自身がアイドルとして活動したいから、という理由で活動している人のファンでありたいと思っている。

「少女時代を通して出会った世界」菅野つかさ

菅野さんの、少女時代から受けた影響に関するエッセイ。
アイドルに関する様々な問題が起きる度に、自分がアイドルのファンであることを後ろめたいと思うことがある。けれど、アイドルの存在によって励まされたり、新たな視野を持つことができるのも事実。ネガティブな側面がある一方で、ポジティブな側面もある。だから、アイドルの存在も、ファンの存在も否定することはできない。
菅野さんは少女時代と出会ったことで、英語圏の国へ留学するきっかけになる。また、シスターフッドの概念を知り、フェミニズムに興味を持つ。

日本のメディアは彼女たちを“美脚グループ”として扱い、短いトーク時間では数えきれないほど脚のことばかり聞き続けた。
(中略)
“美脚”という記号のもと、本当はもっと面白い人たちなのに、彼女たちの内面に一切興味が示されないことに絶望した。
エトセトラVol.8「少女時代を通して出会った世界」

アイドルが好きだからこそ、アイドルが活動するメディアの在り方に、ファンとして疑問を持つことは多い。少女時代が「美脚グループ」としてメディアに取り上げられていた頃から数年経ったものの、日本のメディアの状況はあまり変わっていないように感じる。ファンとして何かできることがあるのかと言われると正直分からないが、生身の人間の活動をファンとして消費する上で、アイドルの労働環境や教育について関心を持つことは大切なのだと思う。

「ファンと消費」犬山紙子

アイドルのファンでいることのもやもやを、エッセイストである自分の見られ方と絡めて描かれた犬山さんのエッセイ。犬山さんはハロプロのファンであることを公言していることから、特に活動を目にする機会が多い。

「推しの内面を見ている、推しの努力を見ていると言っているが、結局のところ自分が反応する記号に本能のまま向かい、消費しているだけだろ」と深夜に自嘲して苦しくなる時もある。
エトセトラVol.8「ファンと消費」

ファンから見たアイドルの側面は、そのアイドルの切り取られた一部分に過ぎない。その情報だけで、例えば「真面目で努力家で歌が上手い◯◯ちゃんが好き」と認識しても、それはそのアイドルの全てではなく、多少なりとも自分自身の願望が含まれていることを意識したい。常にファンから評価され続けるアイドルという職業は、どうしてもストレスを感じやすいだろう。だから、アイドルの活動に関わる大人が守ってあげなければいけない。

働くすべての人の「労働」が、守られるために知りたいこと

この内藤さんと鈴木さんとあやちょの対談を読んで、労働と教育は切り離せないものであると実感した。
私が初めてアイドルの教育について意識したのは、某アイドルが「曲中の英語の歌詞が分からないまま歌っている」と話していたことだった。その時私は、歌詞の意味を知らないまま歌っているのは楽曲を提供したクリエイターに対して失礼なのではないかと思い、またこの発言に対して「◯◯はおバカキャラで可愛い」と言っているファンに対しても、そのアイドルに対して失礼だと思った。しかし今振り返ってみると、そのアイドルはきちんと学校に通えていたのだろうか、適切な教育を受ける機会があったのだろうかと思う。昔から、アイドルに対して周りの大人たちやファンが「おバカキャラ」とラベリングをすることはよくあることだ。アイドルに小学生レベルのテストを受けてもらい、その珍回答を紹介するバラエティ番組を、放送された当時は何の違和感もなく見ていた。しかし、同じ内容の番組を今見たら、素直に笑うことができないだろう。当時の自分は、まだ想像力が足りていなかった。
年齢が若いアイドルが、十分に教育を受けないまま仕事に従事していることについては、アイドルに側にだけ問題があるのではない。年齢が若い時にやったアルバイトから学ぶこともあるのかもしれないが、本来、労働は十分な教育を受けた後に行うことだ。アイドルに限らず、年齢が若く、自分自身で良し悪しの判断ができない時期に仕事に従事することは多くの問題がある。
教育とは、困難な場面に遭遇した時に、自分と周りの人々を傷つけない最適解を導くために必要なものだと思っている。例えば、仕事に対して十分な給料が支払われていない時。自分が納得していないまま、自分に対して不利な契約を結ばされてしまった時。相手から向けられた言葉や行動により、自分が傷ついた時。自分がどのような選択をすれば、自分も相手もなるべく平和な方法で問題を解決できるのか考えるために、十分な教育が必要だ。
もちろん、アイドル活動をしていることで、必ずしも教育の機会がなくなるという訳ではない。アイドルと勉学を両立している方はたくさんいる。けれど、それはとても難しいことであり、両立するにあたって心身に負担が増えるのではという不安がある。

アイドルの未来のためには何がいる?

「アイドルの未来のためのアンケート」の結果について、松尾さん、鈴木さん、あやちょによる対談。

結婚や家庭を作ることではない人生を歩まれている方を否定したくないし、そういう方々がアイドルの恋愛に反対している訳ではなかったりしますよね。
エトセトラVol.8「アイドルの未来のためには何がいる?」

アイドルの恋愛禁止の是非について議論される時にいつも、恋愛や結婚をしたくないアイドルの存在が考えられていないのではないかと思っていた。アイドルの恋愛が許容された場合、またアイドル活動から卒業した場合に、ファンやメディアが「結婚のご予定は?」と聞くたびに、もやもやした気持ちを感じていた。だから、あやちょのこの発言に、読みながらうんうんと頷いた。
LGBTQの方々の存在が少しずつ可視化されるようになっているものの、日本社会はまだ異性愛の家族、婚姻と子どもの再生産が当たり前という考えがほとんどだ。特に芸能界はそうした傾向が強いように見える。日本の法律では、異性愛同士でないと結婚が認められない。そうした社会の中で、人目に晒される立場だからこそ、苦しんでいるアイドルがいるのではないかと想像してしまう。その時、アイドルが悩んでいることを相談できる場所があるのだろうか。まだ義務教育中の年齢のアイドルが水着でステージに立ったり、ティーンのファンが読者である雑誌のアンケートに「キスが上手そうなアイドル」の項目があったり、メディアが生身の人間を消費することに対する配慮に欠けていると感じることが多々ある。どうか、アイドルに関わる大人たちに、本書を手に取って欲しい。そして、アイドルの置かれている環境について考えてみてほしい。
アイドルのファンとして、考えた結論です。

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