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古の無断リンクとTwitterの転載に思う

 私が子どもの頃のインターネットは、ブログやSNSではなく個人サイトがメインだった。その頃は、無断にサイトにリンクを貼るのを禁止する文化、無断リンク禁止の文化があったように思う。法的には無断リンクは昔から適法だが、今よりも拒否反応が強かった印象がある。

結論を先にいえば、リンクを張ることは、単に別のホームページに行けること、そしてそのホームページの中にある情報にたどり着けることを指示するに止まり、その情報をみずから複製したり送信したりするわけではないので、著作権侵害とはならないというべきでしょう。
「デジタル・ネットワーク社会と著作権」2020/06/15 20:03閲覧

 なぜ無断リンクについて思い出したかというと、このnoteで自分のTwitterのブックマークを整理しようと考えたからだ。私はSafariのページを大量に開きっぱなしにしてしまっているように、整理もせずにひたすら気になったTweetをブックマークに放り投げていた。これで忘れると思いきやそういうわけでもなく、あのときブックマークしたTweetはどこだ? となるのも少なくない。Twitterのブックマークはまだ検索機能がないのだ。そこで、せっかくよいと思った情報を埋もれさせるのももったいないし、noteにまとめて公開しようかと考えた。

 そして、ふと思った。でも、他人のTweetをまとめて記事にするのってどうなんだろう? Toggeterやまとめサイトで自分のTweetを転載されるのを嫌がる人を見かけたことがある。調べてみると、無断リンクと同じく違法ではないようだが、やはり嫌がる人はやはりいるようだ。

 なんとなくその気持ちはわかる気がする。私が考えたのは次の2点である。

 第一に、Twitterは用途が人それぞれで、SNSの向きもあれば発信用の公式Webのように使われている場合もある。個人のTwitterとプロモーション目的の企業のそれは、目的や立ち位置がやはり異なると思う。ネットに載せる以上、誰に見られてもよいものを公開すべきという意見は正論だし、私自身のスタンスとしてはそれに準拠しようと思うが、万人がその意見に乗っとる必要はないとも思う(難しいのが実状ではないか、という感覚もある)。これは感覚的な話だが、今の現実社会と交錯したインターネットでは、公開した以上はどこに転載されても仕方がないというのは乱暴というか、私はあまり好みではない。Twitterの中で、リツートという形で拡散されるのは抵抗がなくても、Twitter外に載せられるのに抵抗感がある人もいるだろうと感覚として思う。

 第二に、大学で剽窃について強めに教育された身としては、Tweetはまるまるその人の意見を載せるわけで、なんとなく他人の褌で相撲をとる感もあり、なんとなく抵抗を感じる。Tweetはその140字という制限ゆえにそれひとつで完成された情報や物語を形づくっていることが少なくなく、引用ではなく、まるまる転載しているようにも感じられる。ただ、ここは難しいところで、特定のTweetから得た情報を結果だけ載せるのは、参照した情報源を隠しているというか、参照文献の存在を隠してさも自分が発見したと主張しているような気持ち悪さがある。つまり、他人のTweetを使っても、使わなかったとしても、双方誰かを不快にする可能性がある。

 あらためて考えてみると、私が難しく考えすぎなのかもしれないが、Tweetの取り扱いはかなり繊細さを求められるのではないかと感じた。なかなか難しいところではあるが、少なくとも他の方のTweetをまとめるだけでなく、自分の意見があってのTweet参照という形にはしたいな、と思った。その際、Tweetをそのまま埋め込むのか、無理やり参照にするのか(@user name yyyy/mm/dd とか?)、悩みは尽きない。

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