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今の自分から一歩ずつ積み重ねる

 まだ学生だった頃、部活の先輩から「お前は自分で思っているほどできる奴じゃない」と言われたことがある。田舎で勉強ができる子どもだったせいか、私の自己評価はやたら高かった。その頃はあからさまに、自分はできる人間で、周りの同世代はできない、みたいに思っているのがにじみ出ていたらしく、前述の手酷い言葉を受けたのだった。

 その当時もそうだし、今も、私は自分の高すぎる自己評価に振り回されているように思う。ただ、大学受験で志望校に合格できたところまではよかったが、受験勉強と異なり、いくつかのやるべきことを同時並行にしなければならない状況や、自分一人で完結しないことに取り組むようになってから、「自分は優秀層である」という謎の高い自己評価と比べて現状が乖離するようになってきた。

 高すぎる自己評価の弊害は二つあると思っていて、一つは自分に対する期待値が高すぎるので落ちこみやすくなることだ。私はかなりネガティブで落ちこみやすいのだけれど、それは高すぎる自己評価のせいで、自分ができるはずなのにできないと思っているからではないかと思う。運動神経が悪いのは自覚しているので、運動関係で落ちこむ場合はほとんどない。

 もう一つの弊害は、現状把握がきちんとできていないので、成長や改善がしづらくなることである。そもそも能力がないという認識ではなく、能力はあるのにできていないと思ってしまっているのだから、前進するわけがないのだ。

 この二つの弊害はどちらも自分を生きづらくさせているので、なんとかしたいと考えている。まずは、自分のできない点をきちんと把握していくのが必要であるし、その上で何をのばしていくのか真剣に考えなければならないだろう。苦手分野で戦っても勝てないので、最低基準は満たしつつも、できないならできないである程度見切りをつけなければならない。

 それを前提に日頃を省みると、ささいなことで他人に苛々して非寛容だし、緊張して人と話すときに早口になるし、少しでも苦手な人とのコミュニケーションは避けようとしてしまうし、とてもじゃないが優秀とはいえない自分にあらためて気づく。

 その事実は残念でもあるが、一方で、なんとなく肩の荷がおりた感覚も覚える。私はなぜか常に・現時点で優秀でなければならないというある種の強迫観念に駆られていたが、別に誰もそれを求めていないのである。私が勝手に、周囲の人から期待されていると思ってしまっていただけだ。仮に誰かが実際に期待していたとしても、私がそれを望んでいないならそれに乗らなくてよいし、現状が優秀でないならそこから一歩ずつ積み重ねていけばよいのだ。

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