見出し画像

三つ子の魂百までじゃないこと

 三つ子の魂百までというけれど、それなりに私は子どもの頃から変わっている点もあるんじゃないかと思う。

 例えば、昔は犬が怖かった。小さい頃に犬に追いかけられた経験があるからだ。しかし、実家で飼い始めた犬がとてもおとなしくて、懐っこくて、犬にも個性があると知るとともに、犬もけっこうかわいいじゃんと思えるようになった。

 例えば、昔はレバーを食べられなかった。舌触りも味も変な食べ物、と思っていた。それがまだ巷に出回っていたレバ刺しを食べて一変した。いまや焼き鳥に行ったときは必ずレバーを頼むほどの大好物になった。

 例えば、昔は他人とおふろに入るのが苦手で、大浴場が大嫌いだった。大学生の頃は、サークルの合宿がそのせいで憂鬱になるくらいだった。自分の体に劣等感を持っていたからである。それがいつのまにか、いったん痩せて、中途半端に脱毛したりしているうちに、なんとなく自分の体を受け入れられるようになった。今はジムの大浴場に平気で入れる。

 一方で、変わらない点はなんだろうと考えてみると、性格が思いあたる。私は昔から頑固だし、変な自分ルールにとらわれて生きているのは変わらない。よいところでいえば、どうせ何かやるなら一所懸命とりくもうとするのも変わっていないだろう。

 と思いつつここまで書いてきたが、「三つ子の魂百まで」の意味をあらためて調べてみたら「幼少時代の性格は、年をとっても変わらないということ」らしい(小学館『精選版 日本国語大辞典』2006年)。そうなると、その言葉どおり私はやっぱり「三つ子の魂百まで」そのとおりなのだった。

 好みは変わるけど、自分をつくる本質的なところは変わらないということだろうか。何が性格で何がただの好みなのか、少し判断が難しいようにも感じる。自分の変わるところと変わらないところを見極めていきたいものだと思う。

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは大切に使わせていただきます。