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子どもはどうしたら読書好きになるのか

 以前、飲み会で自分の子どもに読書をさせたいのだけれど、どうしたら読書好きになるんだろうか、という話題が出たことがあった。そもそもの読書好きであったり、読書という行為自体の意義についての検討は置いておくとして、たしかにどうしたら読書を好きになるのかというのは疑問である。

 その疑問は、自分の家族を振り返ったときに生まれる。

 子どもを読書好きにさせたいなら、身近な大人がおもしろそうに本を読んでいなければ好きにならないだろう、みたいな言説を目にしたことがあるが、実家はその条件にあてはまっていた。実家は、父親が読書好きな理系教師だったので、父親の本棚には専門書と小説双方が並んでいた。父は、自然科学を専攻しつつ、小説も歴史小説中心に読む人だった。時代だったのか、実家には世界文学全集や百科事典もあったし、子どもには子ども用の童話が並べられていた。かなり、身近に読書をする大人も本もある環境だったと思う。

 しかし、読書好きなのは兄弟の中で私だけなのである。実家にある文学全集や百科事典を兄弟はもしかしたら手にとってすらいないかもしれない。私は子どもの頃から百科事典が好きで、祖母の家にもなぜか百科事典が置いてあったので遊びに行ったときに一人で読んでいたりもした。他の兄弟は、スポーツであったり、絵を描くことであったり、他に好きなことを持っている。同じ家庭で育てられたのに嗜好・志向が異なるというのは少なくないことではあるが、あらためて家族を振り返るとおもしろいものだな、と思う。

 読書好きに限らず、だいたいの人間の特性は遺伝と環境の組み合わせで発露するといってしまえばそれまでなのだけれど、そのそれぞれにどんな成分が加わるか、組み合わさるかによって、全然異なる人間になる。その多様性を私はおもしろいと感じるし、尊重したいと思う。

 ちなみに、冒頭の飲み会では、その場にいた読書好きは私含めて一様に「気づいたら読書を好きになっていた」と言っていた。ひととなりの形成は、たいてい、気づいたらそうなってるのかもしれない。人間は、他者や環境から影響を与えられても、操作は受けつけないのかもしれない。

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