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乃木オタにとっての「踏み絵」としての新曲

2022年2月26日

ウクライナのニュースばかり流れている。首都キエフが陥落したら、次はどうなるのだろう。一つ間違えれば、ロシアとNATO・アメリカが史上最悪の核戦争に突入するという人もいる。「一つ間違えれば」。「偶発的衝突」。過去の世界大戦もそうやって始まり、いつの間にか世界中に拡大していた。

シャーロック・ホームズに「第二の血痕」というエピソードがある。一夜の激情に駆られて大臣が書いた敵対国への文書が、もし公になれば戦争が避けられない。その文書を紛失したとホームズを頼ってくる。青ざめた大臣からことのしだいを聞いたホームズは、「紛失に気づいたのはいつですか?」と尋ねる。答えを聞いたホームズは冷静な表情でこう語る。「では大臣、今すぐ戦争の準備をなさい。日数から考えて、文書は相手の手に落ちていると考えて良いでしょう」

一夜の激情がきっかけで、取り返しのつかない戦争に突入するというならば、秒速で情報が伝わる今は、いつかSNSの書き込み一つで、返礼に核ミサイルを撃つ日が来るのかもしれない。理由は「ついカッとなったから」

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誰が「らしさ」を決めているのか。

Mr.Childrenがアルバム「深海」をリリースした時、「ファンにとっての踏み絵だ」という声があったそうだ。アルバム全体を覆う異様な暗さ。それまでの所謂「ミスチルらしさ」が感じられない。等々。ミリオンを連発する桜井和寿という虚像を盲信していればいるほど、突きつけられた現実が受け入れられず、アルバムを買えなくなる。オマエが愛しているのは、虚像か、実体か、と問うてくる。

僕は小学生の時に、ラジオで「innocent world」を聴いて子供ながらにカルチャーショックを受けて、その後、大学受験で浪人した頃も含めて長らくお世話になった。ただ、アルバム発売のたびにレコード店に並んだわけではなく、後追いで過去のアルバムを買っていったタイプだから、「深海」はよく分からないまま買ったかレンタルしたかで聴いた。結果、「BOLERO」と並んで僕にとって最も大切なアルバムになった。なぜ、「踏み絵」と呼ばれていたのか、その理由がうまく飲み込めなかった。ガチ勢ではない、ライト目のミスチルファンにとって、「深海」は「こんな曲もあるのか!」と新たな気づきを与えてくれる素晴らしいアルバムだったのだ。

乃木坂46の新曲(29枚目)「Actually...」が、「乃木坂らしさ」というワードをトレンド入りさせるほど界隈を賑わせた。

「乃木坂らしくない」「そもそも乃木坂らしさって何よ」

ファンがいつの間にか「乃木坂らしさ」を勝手に作り上げていたなら、それは虚像にすぎない。その虚像を破壊したくて、秋元康と運営が本気で作ってきた楽曲、とみれば、なんとなくこの新曲「Actually...」への向き合い方が見えてくる気がする。

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僕が乃木坂を好きになったきっかけが、この時のアー写。並んだ時にスカートの丈が揃うように計算されたという。統一感が出て、清楚な感じが出る。

元気ハツラツ〜!がAKBだったなら、乃木坂はミッション系のお嬢様学校の少女たちだった。僕はそのイメージに惚れ込んで、初めてアイドルのイベントやライブに出かけるようになったのだから、清楚なパブリックイメージが乃木坂の商品価値そのものだったと言って良いと思う。

運営はその方向で乃木坂のイメージを固めていった。それがとても上手く行った。紅白にも出られたし、東京ドームにも立てたし、海外進出も叶った、日本レコード大賞も2年連続で受賞した、写真集を出せば飛ぶように売れた、オーディションを開催すれば単独アイドルで過去最多の応募が殺到した、国内最大級のスタジアムでのライブも決まった・・・。さぁ次は?何をしてくれる?何を見せてくれる?

だから、壊すことに決めた。パブリックイメージそのものを。

たとえ、従来のファンの一部を失うことになろうとも、狂気と言われようとも。不退転の決意で今回の新曲を世に出した(というか、問うた)のだとすれば、「踏み絵」としての新曲はファンに「オマエが愛しているのは何なのか?」を繰り返し問い続けているように思えてならない。

【Actually】(相手の予想に反して)実はそうではない。

24時間365日、彼女たちと向き合ってきた運営(プロデューサー、マネージャー、メイク担当、衣装担当、楽曲担当、MV担当、スケジュール管理の担当、渉外担当、有象無象のマスコミ担当、握手会などイベント担当、会員サイトの運営担当、グッズ制作担当、広報担当、あらゆるスタッフたち)にとって、ファンが求め導いた先の、清楚で笑顔が眩しく、おしゃれでいつも可愛い、キラキラのパブリックイメージというものは、演出の方向性を決定づける大事な要素だったと思う。

「こうしておけば間違いない(炎上しない)」という安全パイを手にすることができたのだ。(もちろん、途中、読み違えて何度か大失敗した)

そうして10周年という、一つの節目を迎えた。もちろん、このまま同じ路線を貫いてもよかったはずだ。全くそれは間違っていない。ファンは喜んでくれるし、声援をくれる。生写真もグッズも買ってくれるし、ライブにも来てくれる。世代交代もある程度うまくいっていた。何も不自由はなかったように見える。

でも、実はそうではない。

逃げられない「マンネリ化」という悪循環。そして、この「マンネリ化」を作る側は病的なぐらい恐れている。それまでが上手くいっているほど、その傾向は強くなる。

古株のファンや、コアなファンは必ず反発するし、炎上は避けられない。400%そうだとわかっていても、手にしたハンマーで一度、目の前のパブリックイメージを完膚なきまでに破壊したい衝動に駆られる。

目を覚ませよ!もう一度、ちゃんと、ちゃんと見ろよ!!

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(出典元:寺田蘭世 公式ブログ)

欅っぽさを(ほとんど意図的に)見出してしまう自分

ぶっ壊すつもりでやってみたらば、なぜか欅坂のようだった。少なくともそう見えた。目の錯覚かと思ったが、そうとばかりもいえない。

櫻坂のライブを見ている時、僕は無意識に「欅」の名残を見出そうとしてしまう。ふと我に返って、客観的に見るつもりであらためてパフォーマンスを見つめると、櫻坂のメンバーは、欅坂だった自分達と戦い続けている(抗い続けている)ように映った。彼女たちは欅坂としてドームを熱狂させた記憶を多くのメンバーが持ったままだ。会場の上の階の後ろの方にいた僕でさえ、「不協和音」のイントロが流れた瞬間(ちなみに初日の方)の地鳴りのような歓声は今も忘れられない。たとえ、平手友梨奈の「バックダンサー」であったとしても、あの狂気じみた雰囲気はいつまでも心と身体に染み込んだままだろう。

僕にとっても、欅坂の姿と櫻坂の姿を完全に切り分けることができない。でも、2つのグループは全く別物なのだ。願っても無駄なのに、櫻坂のライブを聴きながら、心のどこかで「避雷針」のイントロを待っている、「二人セゾン」のソロダンスを待っている・・・

追い求めていた残像を、つい中西アルノの中に求めてしまった。乃木坂のパフォーマンスの中に求めてしまった。意図的に「そのように」見てしまった。

ダンス指導はTAKAHIROさんではなく、Seishiroさんである。そもそもパフォーマーは乃木坂46であって、欅坂46でも櫻坂46でも日向坂46でもない。

やはり何かが決定的に違うのに、その何かにまだ気づけない。

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”未完成”はオマエじゃないのか

「Actually...」は、秋元康と運営から、全ての乃木オタへの挑戦状であり、「踏み絵」である。

「未完成」なのは、5期生の新メンバーだけではなく、迎え入れる側であるファン全てを指している。

右往左往して、挙句に聖人君主でも清廉潔白でもない(この世の人間の99.9%)元・一般人の女の子の過去を鬼の首をとったかのようにさらし、らしくない、理想と程遠い、と糾弾するのは、人間として未熟だからではないか。こっちは正義でもなんでもない、ただの同じ人間に過ぎないのに。人のこと言えるのか。相手が消えてくれたら満足か。失敗した人間は永久に再チャレンジしてはいけないのか。誰にでも言いたくない過去はあるだろう。大切な思い出があるのと同じように、良いこともよくないことも複雑に絡み合っているはずだ。僕もオマエも全然、未完成なのだ。

でも、「未完成」は「完成」に近づくことができるはず。今のこの瞬間を一つずつ乗り越えていければ、必ず。

思い込みを一度、全部捨てて、もう一度向き合ってみたら、11年目を迎えた新しい乃木坂46に必ず出会える、、、そういう意味が実は込められてるんじゃないか。

Actually...これが、(あなたのまだ知らない)乃木坂46です。


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