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DAY1 生駒ちゃんはずっと生駒ちゃんだった 僕は号泣した そしてアルノちゃんと目があった この子は大丈夫だ

10thバスラDAY1に行ってきました。初日は2012年のデビューシングルから2016年まで。
僕は東側のアリーナ席の端っこ。花道の真横という、多分二度とない神席でした。

オープニング
6thバスラの2会場シンクロライブの空撮から始まり、歴代ライブのシーンを振り返り、overture。
真夏が出てきて開幕宣言。5期生から逆順に期別ごとに登場し、1曲目のぐるカーがスタート。

順にシングルを辿りながら、マネキンに差し掛かったところで、曲ふり替わりのVのナレーションが、あれ?途中からダブってる、、待てよ、聞き覚えのあるこの声は、、、

今日だけは、特別に。

生駒ちゃんが出てきた時、我を忘れました。色々とコロナの制限あったけど、一瞬間、全部忘れて会場が叫んだ。僕も叫んだ。足が震えた。色んな感情が一気にあふれ出た。

やはりこの人には、この場所が一番よく似合う。

センター特性、みたいなことを時々考える。マンガの主人公のようなものだ。ハリウッド映画が音をミュートにして観ても、およそのストーリーと主人公が誰なのか説明不用で分かるように、それは目印みたいにその人に固有のものだ。

エースがここぞの場面で登場するような、絶対的な安定感なのだ。理屈じゃない。

マネキンのパフォーマンスが終わっても、まだ脚が震えていた。そして、自分がいかに彼女たち1期生を求めていたかを実感した。

生駒ちゃんは、ずっと生駒ちゃんだった。そのことがどれほど僕を安心させたかしれない。

その思いは、中盤でまりっかが登場して再び客席を驚かせた時に確信に変わった。

緩慢な時の中で、乃木坂は姿形を次第に変えていった。それは時の自然な流れであり当然のことだとわかっていても、一抹の寂しさを感じないわけにはいかなかった。

同じ川のほとりを一緒に歩いているつもりだったのに、いつの間にか、違う道を歩んでいる。そのことが堪らなく怖くなる。自分だけが、いつまでも同じ川のほとりを行ったり来たりしている感覚に陥る。

彼女はもう、知らない道を歩んでいる。

その当たり前の事実が時に不安にさせるのだ。

生駒ちゃんは、ずっと生駒ちゃんだった。

記憶のままに、僕らの前に現れた。それがどれほど僕を安心させたか知らない。

記憶に風を通す。

僕は僕の道を。
彼女は彼女の道を。

時に、ちゃんと交わるんだよ。
あの頃があったから。


花道の側の特典。
目の前をメンバーが通る。

アルノちゃんと目があった。
タオルを振ったら応えてくれた。

月の綺麗な夜でした。


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