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君と見た青空はとても美しかった【櫻坂46 渡邉理佐 卒業コンサート】2022年5月22日

櫻坂46渡邉理佐さんの卒業コンサートが東京・国立代々木競技場 第一体育館で2日間に渡って開催され、きょう5月22日のDAY2をもって、彼女は7年間に及ぶアイドル人生に幕を下ろした。

国立代々木競技場

最後まで理佐らしく、過ぎ去った日々と盟友たちへの惜しみない愛情と、ただただライブを楽しもうという理屈抜きの明るさと、何よりあなたは最後までずっとずっと美しかった。

青空には美しい花が映えるんだ。

全身が震えた。ステージで、理佐は咲き誇っていた。

いま改めて、白色と青色という理佐の色が、彼女そのものを雄弁に言い表していたことを知る。

青く突き抜ける空に、沸き立つ白雲。懐かしくもあり、繊細で愛おしい。

屈託が無いのだ。自分もこんな道を歩みたかったと思う。

空はどこまでも高く、雲の峰は開けっぴろげにそこにある。

抱きしめることしかできやしない。

秋元康は彼女のメモリアル写真集にそんな言葉を寄せた。

抱きしめたい、ではなくて、抱きしめることしかできない。

失敗の多い、鬱屈した日々を送っている僕にも、時折、陽が差すことがある。青空に出会う。世界はこんなにも光に満ちていると分かる瞬間だ。

渡邉理佐という女性は、そんな青空を僕に思い出させてくれる。これはとても大切なことだ。

普通の女の子がアイドルになることの大切な意味

作家の村上春樹は、「ノルウェイの森」の中で、学生寮の先輩の恋人が亡くなった際に、彼女を大地を赤く染めて沈む夕陽に例えた。無条件に美しく、無垢で純粋な存在。世界中が赤く染まるようだ、と。

女性はみんな秘密を抱えている。ある人は秘密を抱えたまま姿を隠してしまう。ある人は投げ売りのように秘密を無造作に晒して素知らぬ顔をしている。

だが時折、存在そのものが特殊なヴェールを纏ったような女性がいる。単に美人とか、聡明とか、そんなことではない。抜群に歌がうまいとか、スポーツに秀でているとか、そういう才覚とも違う。

ごく普通の女の子が、そんな見えざるヴェールを本人も知らないうちに身に纏っているのだ。

ともすれば、見落とすだろう。それでも構わないのだ。彼女に立身出世のあからさまな野心はない。むしろ、そのままでいた方が幸せかもしれない。彼女は自分の道を自分で納得して見出し、生きていくだろう。現に我々が知らないだけで、世の中にそんな人はたくさんいるだろう。

でも、いかなる奇跡だろうか、どんな巡り合わせだろうか、彼女は見つかった。誰かの目に触れ、その誰かはある種の期待を込めて、その普通の女の子に道を示した。歩けとも走れとも言わない。道を示した。ただそれだけだ。

運命論的な見方は、かえって真理を見えなくさせる。そんな偶発的な出来事は昨日も今日も明日も、ごく当たり前に空気か塵のようにそこら中に溢れている。


乃木坂も、欅坂も、櫻坂も、日向坂も、昨日まで普通の女の子だった。そこに最大の意味がある。エリートである必要も、類稀な才能の持ち主である必要もない。

何者でもないことに意味があった。

少し歩む道が違っていたら、理佐は、あるいは奈々未は、麻衣は、七瀬は、電車に揺られる僕の目の前で、デートの帰りか仲良さげに楽しそうに、本当に幸せそうなのだ、寄り添うカップルとして、ついにアイドルという世界とは交錯することなく生きていたかもしれない。

アイドルになりたくて、レッスンに親娘ともども心を砕き、いわば能動的に着々と足場を固めてきた女の子よりも、まるで何かの拍子に道に迷ったようにショービジネスの世界に飛び込んでしまった普通の女の子が、レジェンドになっていくあり様は皮肉に聞こえる。

だからこそ、あるタイミングを迎えた瞬間に彼女たちが、ずっと昔からそう決めていたように旅立っていく姿は、より深い印象を与える。

そう、大地を赤く染めて沈む夕陽のように。懐かしくて親密で美しくて愛おしい。

僕の心は震えている。


ありがとう、理佐。
好きなんだ。


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