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私のお気に入り#19〜24

某所で「私のお気に入り」をテーマに書いている文章をまとめました。
またいっぱいたまってしまった。


19

広い空が好きだ。

実家を出て、都会で暮らしてみてまず感じたことは「空、狭っ」だった。
建物が密集してる上に高さがあるので空がほとんど見えない。地元の田舎なら視界の半分以上を空が占めるのに、こちらでは視界のせいぜい2、3割くらいだろうか。

空が見えないとなんだか圧迫感がある。息を吸っても吸っても酸素が取り込まれていないような息苦しさを覚える。

都会に住んでた頃は、大きな公園や河原が好きで定期的に行っていたが、今思うと、開けた場所で大きな空を拝みたかったのだと思う。

広い空の下にいると、実家に帰ってきたような懐かしさと安心感があった。やっと、ちゃんと呼吸ができたような気がした。

実家を出るまでは、この大きな空をありがたがることなんて一度もなかった。だってこれが当たり前だったから。

一度失ってみないと気付かないことっていっぱいあるよな。


20

「こきたてヒーヒー」というギャグが好きだ。

これは文字の一部を入れ替えるスプーナリズムと呼ばれるもので、元の文は「挽きたてコーヒー」である。元がありふれた普通の文だけにギャップがすごい。

ちなみに、「ゴリラゲイ雨」とか「アカピッピミシミシガメ」とか色々あるので気になる人は検索してみてほしい。

「こきたてヒーヒー」。

まず「こきたて」がずるい。こんなの響きだけで笑う。そもそも、「こく」という言葉自体、日常会話では「屁をこく」くらいでしか使われない単語ではなかろうか。
(と、思って調べてみたら「調子こく」「いい年こいて」とか結構使われていた)

「こく」という単語単体でもそれなりに面白いのに、「たて」が付いてさらに強調されているのである。「こく」に「たて」が付くのおかしいだろ。なんだ「こきたて」って。「炊きたて」みたいに言うな。

そして「ヒーヒー」。もうカラムーチョのおばあちゃんの顔しか浮かばない。
ヒーヒーという哀れっぽい悲鳴ともつかない擬音。緊急事態でも起きているのだろうか。「こきたて」の何かによって。


21

成型ポテトチップスが好きだ。

成型ポテトチップスとは、チップスターやプリングルスのようなやつ。生のじゃがいもをスライスして揚げるのではなく、1回マッシュしてからチップス状に型成し揚げているタイプのものだ。

私は普段は成型ポテトチップスを食べることが多いのだが、この前、久しぶりに生のじゃがいもから揚げているタイプのポテトチップスを食べた。そっちの方がいかにもポテトチップス食ってますって感じがする気がして。theポテトチップスが食べたい気分だったのだ。

成型タイプと比べてパリッとした食感がする。糊状になったでんぷんを揚げるとこんな感じになるのかな、という食感。

成型タイプは、クッキーやビスケットに近いサクサクした食感がして、歯触りが良くて好きだ。噛んでるうちにポテトサラダみたいなホクホク感が味わえるのも好み。

生から揚げるタイプの方がきっと美味しいだろうと思っていたので、「あれ?思ったより…だな…」と感じたのは意外だった。
生から揚げるタイプは、個体差が大きい。大きさも、調味パウダーの付き方も、揚がり具合も。

私はお菓子はパクパクテンポ良く食べたいタイプなので、ムラがあると「どれ食べようかな…」とイチイチ迷ったり、毎回口に入るものにバラツキがあって気になるのかもしれない。

ポテトチップスでこんな自己分析ができるとは。


22

ひらがなの「ふ」が好きだ(文字編)

小学校高学年くらいのとき、「ふ」を書くのにハマった。「ふ」を全部繋げて一筆で書くとすごくカッコいい。字が上手くなった気分になれる。ふ、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ。ノートいっぱいに書いた。

「ふ」は3パターンの書き方があって書くのが楽しい。一筆で書くのと、1画目と2画目だけ繋げて書くのと、(「、ろ、」みたいな)全部バラバラに書くのと。1番目は先に述べた通りカッコよくて趣があるし、2番目は書きやすく読みやすい。3番目はバランスを取るのが難しいが、うまく書けたとき嬉しい。

「ふ」って変な文字だな、と思う。今私のスマホが映しているフォントでは、3番目の、4つの点みたいなパーツが散りばめられたような形をしている。

ほとんどのひらがなって、カーブやループがあったり、縦線と横線が交差してたりすると思うのだけど、「ふ」はどれもあてはまらない。(カーブは若干あるかな?)なんでこんな形の線(点?)の集まりが文字になったんだ。なんでこれを文字と認識できるんだ。不思議だ。


23

ひらがなの「ふ」が好きだ(音編)

「ふ」に対するイメージは、柔らかい、とか、気の抜けた、間の抜けた感じ。
しかしこれは、「ふわふわ」とか「ふにゃふにゃ」といった擬音に由来するのではないだろうか。
もっと純粋に「ふ」と向き合うべきなのではないか。

「ふ」の発音について考えてみる。

なお、私は発音や発声、言語学についてまったく学がないので、「なに当たり前のこと言ってるんだコイツ」と思われてもご容赦いただきたい。

「ふ」と口に出してみる。口を小さくすぼめ、尖らせて、目の前に灯ったろうそくの火を消すみたいに息を吐き出す。思いのほか、息のスピードが速いことに驚く。「う」と比べてみると分かりやすい。「う」はほとんど息が出ないが、「ふ」は息が先行して、少し遅れて声が乗るのである。

これだけのスピードで息を吐くとなると結構な量の息を吐いているはず。となると…お腹に手を当ててもう一度「ふ」。やはり腹筋が動く。

気の抜けたとか間の抜けたなどと冒頭で言ってしまったが、発音するのになかなかに労力がいるではないか。やるな、「ふ」。


24

「言葉はさんかくこころは四角」の一節が好きだ。

「言葉はさんかくこころは四角」とは、くるりというアーティストさんが歌っている曲で、「天然コケコッコー」という映画の主題歌にもなったらしい。

「いつかきっと君も 恋に落ちるだろう 繋いだお手々を 振り払うように」という一節があり、私が特に好きなのは後半の「繋いだ〜振り払うように」の部分だ。

「繋いだお手々」という歌詞は可愛らしくて微笑ましい。「繋いだ手」ではなく「繋いだお手々」と言っているあたりが、小さな子どもと親が仲睦まじく手を繋いでいる光景をおもわせる。

しかし後半は「振り払うように」。この歌詞を聴いたとき、なぜか冷たく薄いナイフの刃を連想した。突然突き放されてしまったような、ひんやりとした切なさを感じる。温かな前半の歌詞とのギャップで風邪をひくレベルだ。
こちらに一瞥くれることすらなく、繋いだお手々をするりとほどいて、あなたはあの人の元へ行ってしまった。小さくなってしまった背中を、わたしはいつまでも、いつまでも見つめている。そんな情景が浮かんだ。

私は曲を聴くとき、あんまり歌詞を気にしない。メロディやリズム、楽器や声の音色を重視するタイプなのだが、この曲の、この一節は初めて聴いたときから頭を離れなかった。こんなに短い歌詞でここまで心を動かされたのは初めてだったかもしれない。

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