小説を書くきっかけとか

 春になると、日記を書きたくなるのどうしてだろう、と思う。noteに書くのはほぼ一年ぶりですね。お久しぶりです。年一投稿になるかも、と言っていたのが本当に実現してしまい、笑うしかないこの状況。きっとこの後もそうなる、生きていれば。
 最近は二次創作にハマっていて、小説は継続的に書いているから割と充実しているのかな、と思う。しかし二次創作をすると、同時に一次創作をやりたくなるのは多分性分なんだろう。書きたい話が多すぎて困る。自分は一人しかいないのに。

 先日、一年前に細々と書いていた日記を発掘して、それに初めて小説を書いた経験を綴っていたので今回はそれをメインに。
 自分が初めて小説を書いたのは、小学校三年か四年のときの国語の授業でのことだった。題材自由で書いたその小説は、確か魔法の使える少女の話だった。年相応の、夢みる文章。今となってはどこを探しても読むことが出来ないだろう。自分はこれを書いたとき初めて、小説は読むだけでなく、書いてもいいんだということを知った。
 経済的にとても裕福とは言えない家庭だったから、小さい頃から遊びに連れて行かれる場所は大抵が図書館で、物心つく前から読書は生活の一部だった。物語は大好きで、毎日読んでいたのに、書いても良いのだということは授業で行うまでは考えもしなかった。
 この後すぐアニメや漫画にハマり、二次創作を中心に活動することになるが、二度目の転機もやはり授業で小説を書いたことだったのかな、と思う。
 それは中学二年のときの『走れメロス』のスピンオフ小説を書こう、という授業。メロスではなく、セリヌンティウスの視点から物語を綴るというものだ。当時二次創作で日常的に小説を書いていた自分にとっては、授業で二次創作を……!? という感覚だった。当然のように授業中では書き終えることができず、宿題として持ち帰って朝四時まで書き終わらなかった大作は、クラスの平均文字数の三倍あった。先生を製本の大変さに泣かせたらしい。誠に申し訳ない。
 これは作品が残っていて、先生が表現の逐一に感想をつけてくれている原稿は宝物だ。同級生からもたくさん感想をもらって、こんなに丁寧に自分の文章を読んでもらったことは初めてのことだった。自分の文章を読んでもらえるって良いなあ、と思った経験である。これで多分、自分は小説を読んでもらえる嬉しさを知った。
 最後の転機は高校二年生。兼部の影響で文芸部幽霊部員だった自分であるが、コンクールに出した小説が県で一番に選ばれた。飛び上がる程嬉しかった出来事の一つだ。誰もが作品を褒めてくれて、多くの感想を貰って、小説は自分の誇れる唯一のものになってしまった。もう逃げられない、とそう思った。だって、アイデンティティの一部にしてしまったのだ。そのせいで、自分は一生小説を書きつづける羽目になってしまった。
 自分の作品を多分初めて、まともに読んだらしい母からも褒められたが、彼女は最後にこう言った。
「こんな賞を貰ったら、勘違いしちゃうね」
 母が、小説家なんて不安定な職を目指さないように回りくどく牽制してきたことは、幼い頃から知っていた。この言葉を言われたとき、知ったことかと思った。
 勘違いしたままでいい。馬鹿のままでいい。愚か者でいい。
 だってもう逃げられない。どんな形であれ、書いていないと生きられない。
 私はまだ、小説を書いている。

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