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Old is Beautiful

古いモノは美しい。ヨーロッパの言葉で、まだまだ日本では一般的に使われていないと思う。古いモノがすべて美しいわけではないが、時代を経たものは新しいモノにはない独特の美しさがある。日本で、まだ一般的でないのはヨーロッパに比べて社会が成熟化していないからだと思う。

時音(ときね)の宿 湯主一條

宮城県仙台市の近郊、鎌先温泉にある宿。時音 湯主一條 昭和6年の木造三階建の建物が登録有形文化財になっている。ご主人はコンシェルジュ協会の会員だからか、客室は東京のホテルの様にお洒落な空間になっている。

その宿のホームページで Old is Beautiful と記載している。そう言えばそんな言葉があったなあと思いだした。

宿泊の棟とは別に木造三階建ての建物は食事処になっている。

世界からのお客様を視野に入れているからこそ、日本の伝統的な木造の建物をうまく活用している。

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今回は、少しの時間訪問させて頂いただけなので、次回はゆっくり泊まらせて頂きたいと考えている。

古いモノは美しいか!?

冒頭で日本はまだまだ Old is Beautiful とは言わない。それは社会が成熟化していないからだと述べたが、どういうことかを説明させて頂きたい。

1982年、有馬温泉のマスタープランを策定した。その策定の過程で都市計画の先生から「高度情報化社会の行きつく先」の講義を受けた事がある。40年以上前の話だ。

先生は、都市計画もまちづくりも、会社の経営も同じだ。つまり人が関わるから同じだ。

情報がますます多量に入って来る。そのような時代の行きつく先はどの様な社会になるかという話だ。こうなると、こうなっていく、だからこうなって、こういう事が必要で・・・・と整理されている。その結論が、成熟化社会と高次元化社会を迎えるというものだ。

成熟化社会とは、一見反比例するモノを同時に許容する社会になる。つまり都会の利便性と田舎の情緒。東洋的なモノと西洋的なモノ。コンピューターの詳細なデータと人間の英知でわかりえない宇宙とか神。非常に新しいものと古いモノ・・・等々

高次元化とは利己主義から利他主義になる。つまりボランティア活動が盛んになる。地球環境に配慮しようというようになる。つまり自分だけが良かったら良いという考え方では社会から排除されてしまうという事だ。

この話を聞いて、有馬温泉はどうあるべきか、我社はどうあるべきか考えた。有馬は日本一歴史のある温泉地だ。世界的に珍しい湯が湧く。京阪神に近い。これを活かすまちづくりとして「そぞろ歩きの出来る温泉街をつくる」という事を定めた。

そういう有馬の方向性の中で、我社はどうするか?を考えた。

古い木造三階建ての建物を活かす。周囲が鉄筋コンクリートの建物に替える中、木造にこだわった。外観はそのままに客室は当時として最先端にした。古いサロンには磨きをかけた。合理的にサービス出来る様に客室数も減らした。蛍光灯を白熱灯に変え、かつて輝いていた建物の建造期の昭和初期、谷崎潤一郎が来ていた頃をほうふつさせるようにした。

湯主一條さんの建物は昭和6年。うち所と一緒だ。そしてこの度、うち所も登録有形文化財に指定された。

ではうちも Old is Beautiful をうたうか・・・・

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無方庵 綿貫宏介が言った・・・

綿貫先生は骨董品が好きだ。と言っても古いモノが何でも好きなわけではない。自分の感覚で良いものは良い。そしてそれが手に入るかどうかは縁の問題だと考えている。先生から骨董品の買い方で学んだことをかつて書いている。

そうして集めた好みの品は先生の家に美術館の様に飾られている。

ある時先生は言った。

イベリアの骨董品を飾っているのだけど、日本の骨董品でも日本人が飾ると不細工だ。でも外国人が日本の骨董を使って部屋をディスプレーしていると素敵に見えるだろう?

それと一緒なんだ。僕がイベリアの骨董を使ってディスプレーすると、向こうの奴らはびっくりするのだ。つまり感覚が違うのだ。

御所坊の館内には必ずしも昔から御所坊にあったものが飾られているわけではない。色々な所で見つけて先生のやり方で購入したものもある。それらをどうディスプレーするかが重要だと思う。つまり感覚だ。

だから他所の旅館にお邪魔しても「やるよ!」と言われればどれをもらうかな?・・・と考えている(笑)

話はあちこち飛んでしまったが、先生の教えもあり、僕は何でもかんでも Old is Beautiful ではない。いかに古いモノを活かすかが重要だと思う。そして古いモノがすべて活かせるとも限らないと思っている。

モーリスマイナー

最近古い車の値段がバカ高くなっている。昔乗っていた車が今あれば・・・え!と驚く価格になっている。

アメリカで旧日本車のブームが起こっておりその影響で古い車の値段が高騰しているのだそうだ。

かつて古い車も何台か所有していたが維持費もばかにならず手放した。しかし1952年製のモーリスマイナーだけが残っていた。ようは言い値で売れなかったから売れ残ったともいえる。(笑)
つまり他所と縁がなく、僕に縁がつながっていたのかもしれない。

最近調べると、うちのより年式が新しく、フルレストアした車が500万で売られている。だったらうちのはそれ以上の価値があるのかなと思っている。

その車を修理に出していた。もう2年以上になるかな?

それが出来上がったという連絡が入った。

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僕はその車で唯一気に入らない点がある。それはナンバープレートが錆びて茶色くなっている事だ。ナンバープレートが歪んでいなことで事故した事が一回もない事が分かる。マニアはこのままが良いという。封印も昔のままで現在とは違う。

ナンバープレートを塗装できないかと考えたが、法律的にダメだそうだ。

ところが新しく昔のナンバーが再発行できることを知った。しかし多くの人がこのままが良いという。でもおかしいと思う。ピカピカの車なのに錆び付いたプレートが付いている。シングルナンバーに価値があるのなら、元々シングルナンバーでないと再発行してもらえないのだから、価値は一緒だという事になるじゃないかと思う。

自体が若干違うし封印が現代のものになるともいわれる。

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そこで改めて先生の言葉を思い出した。

他人が何といおうと自分が知っているという事が大事だ。確かこの言葉は先生の茶室で聞いた覚えがある。先生の茶室の床の間の木が置くまでしっかり入っている。しかしそれは見えない。その時の説明に先生が言ったのだ。

見た目の錆びたシングルナンバーよりも、一回も事故していないシングルナンバーを再発行した。それもまた本物だ。・・・で良いのではないかと思って、迷っていたが新しいシングルナンバーを取り付ける事にした。

・・・電話がかかって来た。兵庫県は型を持っていないのでシングルナンバーの新しいのは出来ないそうだ。

改めて Old is Beautiful 

古いモノがすべて美しくはない。古いモノをどう美しく見せるかが重要で、それを見た人が Old is Beautiful と言うモノだと思う。

有馬温泉や御所坊には僕の感覚の Old is Beautiful があちこちにある。

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都市計画の先生の教えで、古いモノと新しいものを同時に許容する。古いモノには最新のモノと組み合わせする。

西洋的なモノと東洋的なモノと組み合わせている。相反するものを同時に組み合わせしている事が多い。

感覚が合うかどうかぜひ見に来て頂いて感じて頂きたい。



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