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能登半島 陣中見舞い旅

思い立って孫1号を連れて能登半島に行ってきた。
4月1日はランプの宿の主人が居る。2日は輪島の慶塚の主人が居る。そして宿も取れた。
そこで孫1号を連れて、陣中見舞いに出かけた。

なぜ? 行こうと思ったか!

・御所坊の朝の塗り物の皿がプラスチックだ!と口コミに書かれていた事。

・輪島の漆塗りの工房の再起を誓うテレビ報道があったこと。

最近、海洋プラスチックの問題で、プラスチックを悪く思う人がいるのか、宿泊の口コミで「皿がプラスチックだ」と書かれていた。まあ塗りとプラスチックの区別もつかないぐらいの人だから、それ以外の不満も見方が違っていると思うけど、何となく腹が立っていた。

そのような時にテレビの番組で、輪島塗の復興について報道されていた。
見た時に、最近の多くの日本人が塗りとプラスチックとの区別がつかないのに、復興しても売れないのではないかといらぬ心配をした。

重要な事は漆塗りの価値を知ってもらい、プラスチックの差異を知ってもらう事が、輪島塗の復興のカギになるのではないかと思った。
そして輪島塗の復興が祖母が愛した御所坊にある輪島塗の価値を向上させることになると考えた。

ならば、行って、見て、感じないとアイデアは湧かないと思った。

スケジュールを見ると4月の最初の3日間は空いている。孫1号も春休みだから連れて行こう!
小学校でも阪神淡路大震災の事は勉強しているようだからちょうど良い。
阪神淡路の時も4月なったら新幹線が開通して、少し明るくなった時だ。

阪神淡路の時は京都からステーキ肉を届けて頂いて、すごくうれしかったことを覚えている。
お金はお金でありがたいのだけど、それだけにどう使ってよいか考えてしまう。肉だと食うしかない。食べてご馳走様!さあ頑張ろう!
・・・で良いのではないかと僕は思う。

そこで友達の肉屋に、ステーキ肉を段取りしてもらった。

イザ! 能登半島へ!

車はハイエース。就寝出来るようになっているので、いざという時は大丈夫。ガソリン車だから普段の電気自動車とは違うし、冷蔵庫がついているので陣中見舞いの肉も冷凍の状態で届けられる。

1日、朝8時半出発。行きは舞鶴経由のコースを取った。
尼御前SAで昼食を取って、高速を降りた所で給油。あとは走って・・・
16時ぐらいに最初の訪問先に到着した。

ランプの宿は昔は

途中昼めし食って・・・ランプの宿に着いたのが16時 7時間半ぐらい運転した。

ランプの宿は昔、従業員旅行で輪島の慶塚を見学して、泊めてもらったことがある。駐車場に車を停めて、狭い急な坂を送迎してもらったことがある。

今回行くと、かつての駐車場に展望台や土産物屋がつくられていた。そこで刀根夫妻が出迎えてくれた。

珠洲の町を津波が襲う映像を見ていたので、ランプの宿もやばいと思って直後に「大丈夫?」というメッセージだけを送っていたが、最近になってメッセージが返ってきて宿は岩盤の上にあり、無事だとは知っていた。

しかし従業員のほとんどが珠洲の人達で、金沢などに避難して営業できない状態にあるそうだ。

沖の防波堤も震災時に隆起したので、それが幸いして津波の被害を食い止められたという。周りの岩場が2mから4m隆起している。

土産物屋内のソファーに案内されて開口一番。
「金井さんは有名人だなあ」「今日来た兵庫県警の人、大学の先生が金井さんの下の名前まで知っていた。」という。

そういえば訪問中も数台パトカーがやって来る。見ると石川県以外のパトカーだ。警備の応援に来ているのだ。
置いてある名刺を見ると神戸看護大学の先生。まあ知っているかもしれないと思ったが、兵庫県警から派遣されているパトカーの警察官にまで知られているとはとびっくりした。

もう一つ、びっくりしたことがある。

「輪島塗の価格は10倍ぐらいになっている!」

輪島塗を地震前に県が仕入れた関係施設では従来通りの価格で売っているが、民間が仕入れた品は10倍ぐらいの値を付けて販売しているという。
なぜなら輪島が被害を受け、とうぶん生産ができないからだ。

輪島塗の複雑な品は100ぐらいの工程があり分業化されている。工房がつぶれているのと職人がいないからだという。

そういえば有馬の人形筆店が火事になった時も、すぐに人形筆は売り切れて、ヤフオクではけっこう高い値段で販売されていた。

需要と供給で、供給できないと価格は上がる。そして輪島塗のブランド価値が上がるならそれはそれでよいのかと思った。

ランプの宿からさらに10分ほど走った能登半島の先の宿が営業していて、そこに泊まった。
珠洲は水が今でも出ないが、そこは別経路で水が出るので営業できるという。

長距離を運転してきたので、広い風呂がごちそうだった。広いと言っても家庭の風呂より大きいの浴槽だったけど。

翌朝、穴水まで戻り、輪島に向かった

輪島塗の里


輪島に来たのは何年前だろうか?
阪神淡路大震災後だけど・・・

祖母が輪島塗が好きで御所坊の倉庫には色々な輪島塗のお椀などがある。
高校時代はアルバイトで洗い物の手伝いをしていたが、最後は絹で拭いていた。そして一枚づつ布の袋に入れて木箱にしまっていた。
螺鈿と言って、貝殻の粉・・・貝の内側は真珠のように光っているでしょう?
あれを細かく器に塗って、研ぐと、銀粉を振ったような器になる。

だいたい提供している側が、もったいを付けずに提供してるのだからわからなくても当たり前。と反省するしかない。何か考えなければならない。

塗りのお椀類も使わないと乾燥してヒビが入って来る。厄介なのだ。

そこで祖母の代から取引のある慶塚さんに器を箱ごと預けて、修理を依頼。毎月一定額を払って修理が終わると、別の椀を出すというぐわいに何年間かかけて修理をしたことがある。
その器をスタッフのみんなに知ってもらいたくて、輪島を訪れ、ランプの宿に泊まったのだった。

そんな話を孫にしながら輪島の街に入っていった。

輪島の街には観光客が多かったんだろうなと思う。古い街並みが良くできている。
しかし、それらの街がすべて被害を受けている。
新しく建てるのは簡単だろうが、それをすべて古い町並みみたいにするのは大変だと思う。

がれきの撤去は全くと言って良いほど進んでいない。

テレビ報道でよく見たビルも横倒しのままだ。

カーナビで慶塚漆器工房を検索し、駐車場を見つけた。建物がつぶれているからわからない。

車を駐車場に入れると慶塚さん夫妻が出てきて迎えてくれて、がれきの中を案内してくれた。
工房は作業工程がわかるように配置されていて、奥に最終の作品の展示場があったのだが、手前の方のがれき撤去も始まっているが、奥の展示室もめちゃくちゃになっている。

がれき撤去も順番で突然始まったという。そして撤去費用は国が出してくれるが、その後は自前でしなければいけないという。

「よかったら好きなものを一つ進呈しますよ」と主人が言った。

綿貫先生の教えで、やると言われれば、ありがとうと言ってもらう事にしている。

座布団が置いてある低い棚みたいのものが見えた。

あれは何するものですか?と聞くと、濡れ縁などでお茶を飲む台だという。
最近つくったスイートルームには濡れ縁があり、バリの屋外用の椅子は手配しているが、もしそこに合えばちょうどええやんと思い、それを頂くことにした。形も見ていない。

修理して届けてくれるという。何かエビで鯛ではなく、肉で鯛を釣ったみたいだ!

もし合わなくても、今度はその輪島塗の台に合う部屋をつくったら良い。
そして輪島塗の良さを分かってもらうようにしたら良いのだと、考えている。そうして頂いたお返しをすればよいと考えている。

単にあるから使うのではない使い方をして、お客様に価値をわかって喜んでいただくことはできないだろうか?

それまでとりあえず輪島塗の器は使わないようにしようかな?

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