見出し画像

大好きな作家についてしつこく考えていること。

久しぶりに自分のこの記事を読み返していた。

この記事の内容について、書いたのちも度々思い出し、考え込むことが数年も続いている。

この記事には、ASKAご本人からもう一つのヒントが付け加えられたのだ。
これを読んで書いてくださった彼のブログだ。

この中には私の取り上げた『THE WINDY』『PRIDE』の他に、『君の好きだった歌』『Brother Sun and Sister Moon』(フランコ・ゼフィレッリ、1972年)という映画作品名が挙げられている。

「Brother Sun and Sister Moon」という言葉は『君の好きだった歌』の中、そしてこの曲の収められたアルバムを含む2枚のアルバムタイトル(『Code Name.1 Brother Sun』『CODE NAME.2 SISTER MOON』)に用いられているが、この作品たちがチャゲアスの知名度が揺るぎないものになっていた'90年代の半ばに創作されたものだと思うと、この映画で描かれているテーマそのものが彼の作品の中で非常に重要なイメージとなっていること、そしてその事実が容易に世間の隅々まで届いてかまわないと、ASKAの中で判断されたと想像つくのだ。

いやもしかしたら、90年代の半ばでその判断はなかったのかもしれない。当時はインターネットも普及しておらず、「Brother Sun and Sister Moon」というキーワードひとつで世間は「あ、あの映画のことだ」と気付いたり、その映像を容易に観たりはできなかった時代であった。
ただ、ASKAは非常に未来を読むのがうまいため、後々そうなるかもしれない、ということを90年代半ば時点で見越していたとも想像できる。
それでもいいか、と開示できるところが彼のおおらかさでもある。

私がずっと知りたいと思っているのは、この映画を彼に「紹介した」人物だ。(公開された'72年にASKAは14歳、とても自分から選んでこれを観ていたとは想像できないのだ。)
これまで私は、それをASKAが特別な恋として多くの楽曲の中で描きなおしている「君」であったと想像していたのだが、これが本当にそうなのかはぜひ知りたいところだ。
仮説に過ぎないため、私はこの想像を一つの小さな物語として書いてみたことがあったのだが。

あの映画を自分で見つけたのか、それとも誰かに勧められて観たのか、これはどうでもいいことのように見えるが、ASKAという作家の持つ精神性、信仰心(特定の宗教に対してという意味でない)、ゆくゆくは作品に表れているテーマ、それら全てが彼の中で作り上げられるプロセスを想像するのに、結構大きく影響する部分だと、私は考えている。
だからこそ知りたいと、心から思っている。
しつこい、と自分でもわかっているのだが。

一つ、気になっていることがある。
ASKAの作品群に描かれる女性のタイプを大きく3つに分けて私は捉えているのだが、前期にあたる『君の知らない君の歌』の「君」、そして後期にあたる'00年代半ばから最近にかけての楽曲に表現される女性像が、大体が部屋の中で二人きりでいる姿として描かれているのに対し、中期の女性だけが外出時の姿として描かれることが多いのは何か意味があるのか。この深読みに価値があるのだろうか。

私の推察を述べると、おそらく中期は、豊かで人々の目が外側に向いていた当時の社会の空気に呼応する作風であったか、また結婚も経験してプライベートを外に開いていく(開かざるを得ない)時期であったか…とにかく私が思うのはこの時期だけが特殊なのであって(その辺りの楽曲である『はじまりはいつも雨』や『天気予報の恋人』などが代表的なラブソングになっているのは面白いことだが)、本来的には人に見せる部分と隠す部分を、はっきりと線引きするタイプの作家なのだろうという考えでいる。

そして、隠した状態でのラブソングとして描かれる女性への視点は、どこか彼の精神世界につながっているようで、非常に分析のしがいがある。

例えば最近気になっているのは、『どうしたの?』('20年)という楽曲に描かれる女性への視点だ。

君の眠る顔を見るのが好きだ
傍で遠くに居る人

眠っている人に対しての思いが、人の無意識に触れる時間の幸せとして描かれているが、この感覚というのはASKAの中でまだ明確に言葉にしきっていなくとも、かなり昔から強くある考えなのではないか?
これを作家が意識化してしまうと、途端に歌詞が説明っぽくなってしまう怖さもあるが…。
やはり私は彼の、考えきっていない無自覚な段階での表現活動がたまらなく好きらしい。

自分でもこの考えをどうまとめようか…記事としては難しいけれど、メモとして残しておく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?