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好きな曲の歌詞をもとに、物語を作るという遊び。

二人の恋をまとめるようなことは、こんな別れの夜に言いたくなかった。
でも、これだけは君に伝えておきたい。

「君といることで、僕は僕に、自信が持てた」

ありがとう、と言ったら本当に終わりになるような気がして、言えなかった。
彼女はまた静かに泣き出した。

何気ないときでも、歌を口ずさむのが彼女の癖だった。
ベッドからキッチンへ向かう時。
ソファにコーヒーを運んでくれる時。
ちょっとした動作から、歌のこぼれる人だった。

朗々と歌うのではなく、いつも遠慮がちに、細い声で歌う人。
だから高音がいつも、少しかすれて揺らいだ。
そんな、君の声。

「Brother sun, Sister moon」

これは、君の声で覚えた歌だ。

Brother Sun and Sister Moon
I seldom see you seldom hear your tune
Preoccupied with selfish misery
(太陽の兄弟よ、月の姉妹よ
わたしはめったにあなたを見ない
めったにあなたの音楽を聴かない
わがままな惨めさに支配されているから)


彼女の育った家を、一度だけ訪れたことがある。
都心から少し離れた、緑と坂の多い街にある、大きな邸宅だった。
グランドピアノが静かに置かれたリビングで、彼女の母親はきれいなカップに紅茶を注いでくれた。

僕は、自分の気が楽になる言葉ばかり探してしまうのだが、彼女の母は、どうしてもいかに彼女が立派に育ってきたのか、という話に戻したがっているのが、上品な口ぶりの端々から感じ取れた。
直接的な表現をしない、というのが、どうやらこの家の作法のようだった。

そうだ、僕に彼女は釣り合わない。
でも、大丈夫。
僕は、そう思ったことがないのだから。

彼女はいくつか僕の気を緩める合いの手を入れてくれていたが、もう諦めて窓の外を見ていた。
カゴの中の小鳥…
初めて見る、彼女の横顔だった。


「あなたって、お母さんみたい」
風邪をひいた彼女を毛布でぐるぐる巻きにした僕は、鍋のままのお粥をベッドに届ける。
「お母さん?」
そりゃないだろ、と笑い返した僕に、彼女はこうつぶやいた。
「誰もこんなに、温めてくれたことなかったんだもの」
広い邸宅の部屋を、冷えた空気が渡るさまが浮かび、僕は口をつぐむ。

「お母さんでもいいや」
僕は悪戯っぽくシーツの中に潜り込んだ。
ここは、世界で一番小さくて温かい、パラシュートの部屋だ。
風邪がうつるよ、とためらう彼女の頬を、僕は両手で包みこむ。

Brother Wind and Sister Air
Open my eyes to visions pure and fair
That I may see the glory around me.
(風の兄弟よ、空気の姉妹よ
わたしの眼を開き
純粋な美しい視界を与えたまえ
わたしが自分の身の回りの
栄光を見ることができるように)


食器を棚に戻そうと背伸びしながら歌う君を、眺めながら僕はギターをつま弾く。
君の好きな歌、「Brother Sun, Sister Moon」。
なんども繰り返される君の声で、もう僕も歌うことができる。
こんな古い歌を知っている、君のことが好きだ。

覚えたての僕が、僕のやり方で自信たっぷりに歌うと、彼女は決まって曖昧な顔になった。
「違う?」
「なんか、ちょっと」
「そうかな」
僕はギターで、その単純なコードを繰り返す。
「昔みた映画の曲なの」
誰と観たんだろう。
そんなことをちらりと考えながら、僕は気にしないふりでハミングを続ける。

映画音楽らしい、美しいメロディが好ましい曲だ。
ゆるやかな旋律を何度も口ずさんでいると、心が洗われるような気分になる。
ここ最近の僕の心に住み着いた暗い雲を、この曲が洗い流してくれるようだ。
僕は、しつこいほど何度もハミングを繰り返す。


「ねえ」
彼女が横に座ると、ソファが沈んで二人の形になった。
僕はギターの手を止める。
「あなた、絶対に歌い続けた方がいい」
「…そうかな」
僕は半分諦めかけの夢を、わざと乱暴におもちゃを扱うように投げてみようとする。
やめなさい、と手を掴まれることを待ち望む子供のように。

「ねえ、聞いて。あなたは、絶対に…」
彼女の目が少し、宙を探った。
「…そう、すごくなる。この世の中の、光のような」
「光?」
「そう、光に」
大げさだな、と笑いたかったが、彼女はいつになく真剣だった。

「あなたは、歌い続けた方がいい」
もう一度、彼女は言った。
音を消したテレビの薄明かりが、心細くチラつく部屋の中で。

「わかった。でも、この曲は歌わない方がいいね?」
僕は再びコードをつま弾いてみせる。
「そうね」
彼女はやっと笑い出す。
「思い出が壊れそう」

彼女が立ち上がると、ソファは僕だけの重みに耐えきれぬように沈んだ。
僕は、また何度もハミングを繰り返している。
彼女の中にある大事な歌に近づくことが、今では答えのような気がして。

いつのまにか君は、あまり歌わなくなった。
歌がこぼれるようなゆったりした時間が、二人の間から消えかけていた。
そんなこと実は、大した問題じゃなかったのかもしれない。
一番問題だったのは、僕がそれに気づかなかったことだ。

「寂しい」
と叫んでくれればよかったのに。
代わりに彼女の唇が動くとき、こぼれる言葉はいつもこれだった。
「いいの」

いいかい、僕はこんなに君を愛している。
僕がこんなに幸せなのだから、きっと君も幸せだろう。
そう信じて疑わなかった。

「若すぎる」
いろんな人が、僕たちを見てそう言っていたけれど。

あの日、
「ありがとう」
と言えない僕から、君は離れた。

部屋を出て行こうとする君に、かける言葉が見つからなかった。
ようやく絞り出した言葉は、小さなこの部屋に小さく響いた。
「それじゃね」。

あの声は、君の耳に届いていただろうか。





ねえ、僕は君のことを時々思い出すんだ。
本当に時々なんだけれど。

仕事はまあ、あの頃よりは順調だ。
色々変わったよ。
君が知ったらびっくりするくらいにね。
周りの奴らは「憑き物が落ちたみたいだ」なんて陰口を叩いているけど、でもあの頃の苦しさが少し薄らいだだけでも、僕にとっては良かったのかもしれない。

僕はもう、君がいなくたって、一人で色々できるよ。
コーヒーだって淹れられるし、こんなに寒い冬の夜を、一人で過ごすこともできる。


昨日さ、ふとレンタルビデオ屋に立ち寄ってみたんだ。
そしたら珍しいものを見つけてね。
覚えてるかな。
『ブラザー・サン シスター・ムーン』
君がよく歌ってくれた歌。
宗教映画って、一人では眠くなるってわかってたけど、なんとなく借りてみたんだ。

そうしたらさ…なんて言ったらいいのかな。
君が、いたんだ。
君とよく似た女の子が、画面の中で聖フランチェスコのことを、見つめてた。

なんだか、急にあの頃のことが、色々わかったような気分になってしまったんだ。
そうなのか、君が思ってたことはそういうことだったのか。
だから僕らは、あんなにすれ違ったとしても、一緒に居ることを選んでいたのかもしれない、なんてね。
今さら、恥ずかしい話だけど。


聖フランチェスコってさ、はっきり言って狂人だよね。
おかしいよ。
でもすごくピュアなものを持ってる。
天の声の、受信機のようなね。
そして、信じる力が強い。
そういう人が、いつの世にも必要だ。


いつか君が、宗教音楽について話してくれたことがあったね。
人は、音楽に救われると。
歌声に包まれることによって、人は天を見るのだと。
昔から人は、やむにやまれぬ知恵で、そうやって生きてきたんだね。

僕に、聖フランチェスコの荷は重すぎる気がするけれど。
でも君が、そう信じてくれたから。
だから僕はここまで、歩いてこれた。
自分の声が持つ力を、信じてみようと思ってこれた。

聖フランチェスコだって、あの女の子がいなければ、あそこまで強くなれなかったかもしれない。
自分のことをまっすぐに信じてくれる、そんな人がいなければ。


「世の中の光になる」
そんな風に僕に言ってくれたこと、覚えてるかな。
あの日、僕は自分に嘘をつこうとしていたんだ。

光なんて、今はまだ遠く及ばないけれど。
でも、どうしたら世を照らす光になれるのか。
そんな問いだけは、いつも小さく胸に畳んでしまっている。


もう君は横にいないけれど。
でも君が残した言葉が、いつまでも僕を支えている。

「Brother Sun, Sister Moon」
君の記憶の中の曲をようやく聴くことができて、僕は、そんな風に思ったんだ。

君が横にいてくれるだけでよかった。
君といることで、僕は僕に、自信が持てたんだよ。
ありがとう。



***

CHAGE and ASKAの「君が好きだった歌」。
この曲に潜むたっぷりとした行間が、私は大好きです。
1995年にはワンコーラスしか発表されずに、15年後にフルバージョンとして再び発表されたという珍しい曲。

さらに、
『Code Name.1 Brother Sun』
『Code Name.2 SISTER MOON』
この二つのアルバムをつなぐ、『ブラザー・サン シスター・ムーン』という1972年の映画タイトル。
この二枚が、彼らの音楽性の転機にあたる時期に発売されているということを考えると、深読みするならばちょっとしたミステリーにもなる。

私の中で「君の好きだった歌」とは、周辺のラブソングをぐるぐると巻き込み、その世界観をどこまでも広げていく台風の目のような楽曲です。
この曲から見えた景色を取り出し、拙いですが小さな物語にしてみました。
私の中で初めての試みだったので、お目汚ししてしまうかも、という怖さもありますが。

ASKAさんの書く歌詞には、こんな景色を人それぞれに見せてくれるような不思議な魅力があります。
曲の受け取り方はその人のもので、どこにも正解などない。
今回は歌詞分析でなく、空想遊びとして楽しんでもらえたら、という新しい気持ちです。
今年もどうぞよろしく。

※「Brother Sun, Sister Moon」の歌詞と和訳は、以下のサイトより引用させていただきました。調べた中で一番素敵な和訳です。
https://mitchhaga.exblog.jp/19725535/

※「君の好きだった歌」の歌詞はこちらで読めます。
1995年バージョン
2010年バージョン

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