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歌詞を考える

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私のライフワーク。ASKAの歌詞を中心に、気になるアーティストの歌詞を考察したり、歌詞にまつわるエッセイを書いています。 ※タイトル画像:Kaboompics .com from… もっと読む
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記事一覧

『荒野のメガロポリス』が美しい組曲であることを語りたい。

夕闇に入っていく時間帯が好きだ。 それまで色に満ちていた街が、街灯の光と、それ以外の闇とに分かれていく。 カラフルで多様な色に溢れた街が、光に照らされた部分と、闇の部分という単一の色調に沈んでいく。 「光がなければ多様な色などない」 こんな当たり前なことに気づく。 多様であることに疲れた一日の終わりに、闇は優しい。 だから私は夕闇の時間帯が好きなのだが、しかし、こうも思う。 朝には闇が消え、また光に溢れた一日が始まるからこそ、私たちは闇がやってくることを受け入れられるのだろ

内向的な 『Wonderful world』にある、ただ一点の共感性

11/25に発売された、ASKAのおよそ3年ぶりとなるフルアルバム『Wonderful world』から感じたことを今日は書いてみようと思う。 およそ3年前に始まったコロナ禍。 ASKAが前作『Breath of Bless』を発表したのは、日本にコロナ感染の広がりが本格化していくぎりぎり直前だった。 なので、この新しいアルバム『Wonderful world』は、ASKAという作家の内面をコロナ禍という歴史的なできごとが通過した、記録のような意味を持っていると思う。 情

「はじめての井上陽水」から感じ取る、いかがわしさと上品さ。

ここ最近であるが、井上陽水の歌詞に浸っている。 井上陽水。 私の年代('80年前後生まれ)で彼の楽曲にしっかりと詳しい方は、おそらく音楽好きな方であろう。 「当然通った」という経験は、きっと一回り上の世代なのかなぁ。 子供の頃から、テレビやCM、そして他アーティストへの提供曲やカバーでいくつも耳にしていた。
 不思議な節回しや声質に惹かれ、「好き」と感じ、だからなんとなく知っているような気になってしまってたのかもしれない。 思えば彼の音楽は、日本の日常に深く染み込んでい

カジュアルに神を歌える、この時代。

今日は、「神様について歌った曲」という、非常に狭いテーマについて書いてみようかと思うのですが、どれくらいの方が付いてきて下さるのか…。 心配ですが、始めてみましょう。 * 「神様について歌った曲、知ってる?」と聞かれて、すぐに挙げられる人はどれくらいいるんでしょう。 私だって不意打ちでそんなこと聞かれたら、一つも思い浮かばないけれど。 でも世の中に、確かにそういう曲ってありますね。 神様の登場回数で、私の中にパッと思い浮かぶのはスピッツかな? とにかく、絶対数は少ないだ

「ドライフラワー」に「かくれんぼ」は不釣り合い?

私にトシちゃんダンスを教えて下さった、ダンサーでありシンガーソングライターの西野名菜さん(すみません、毎度こんなご紹介で)。 オリジナルでかなりハイクオリティな「歌って踊ってみた」動画をここのところ続けて公開されているが、その3本目がYouTubeに上がっていた。 曲目は、話題の「ドライフラワー」。 「ドライフラワー」って曲、いいですよね。 女性主観の歌詞が、名菜さんの歌声を通じて、本家の優里さんの声で聴くのとまた違った感じでグッと胸に迫ってきて、今回もかなりリピートして聴

「はじまりはいつも雨」の歌詞に、初めて向き合ってみた。

雨をハッピーに描いた名曲、と言われるASKAの「はじまりはいつも雨」。 なんとこの曲が世に出てから、今日で丸々30年である。 30年って!! 時の流れに身を任せてたら、あっという間に人生が終わってしまいます…。 あの頃はまだ小学生で、愛の「あ」の字も知らなかった私。 ただただ美しい曲調と、ASKAの独特な歌声に心惹かれ、チャゲアスを本気で聴くようになったんだっけ。 でも。 あれほどに有名な曲って、大抵の場合は最初に聴いた時のインパクトがMAXで、その後はそこにあって当たり

「夜に駆ける」のすごさを、真剣に考えてみた。

●これ、恋の歌じゃないの?以前、運動神経のび太レベルの私に田原俊彦さんのダンスを教えてくださったダンサーの西野名菜さんが、YOASOBIの「夜に駆ける」を、素晴らしい歌って踊ってみた動画に昇華され、公開されている。 もともと私は、この原曲をあまり聴いていなかった。 お恥ずかしいことに耳が老化してきたのか、BPM早めでボカロ風の歌唱、という時点で疲れを感じてしまうのだ。 だが名菜さんの動画にハマって何度も聴くうちに、原曲では早すぎて入ってこなかった歌詞が、しっかりと耳にとま

子供の頃に受け取った優しさを、ここからはじめればいい。

毎朝、小一の娘を学校の門まで送っていくのだが、子供たち複数人でわちゃわちゃ歩いていると、ふとこんなことを思う。 子供って、一度に全員が満足できるような会話にならないなぁ、と。 誰かが楽しく話していると、誰かが不満になってくる。 誰かの話をうんうん、と聞いてると、誰かがどこかで寂しくなっている。 放課後の遊ぶ約束や、習い事の話。 どんなおやつを食べたか、とか、細かなことまで。 子供たちの素直な反応を見ていると、もしかして私たち大人も、気づかないようにしてるけど本当は、どこ

ASKAのラブソングから周到に取り除かれている「匂い」について。

はたから見ると、「なぜそんなに遠回りするのだろう」と思える人がいる。 もうその能力で十分じゃないか、というところに妙にこだわって、人並み以上に悩んだりする人がいる。 はたから見れば、 よくわからない人。 こだわり屋さん。 むしろ、ストイックを通り越してマゾな人。 そんな風に言われてしまったりするけれど。 かく言う私にも、そういうところがある。 それで十分じゃないか、と言われるところに妙にこだわり、遠回りを重ねてここまで歩いて来てしまっているという、だいぶ情けない実感があ

ASKAの音楽に立ち現れる「寓話」は、都会の孤独を見せてくれる。

ただ他人を食べつづけて いつか後悔する人 自分を差し出して 小声で苦しむ人 どちらなんだろう、自分は…と思う。 他人を食べてしまったのかも、という後悔が、ふと生まれる時がある。 一方では粛々と自分を差し出す日々、という感覚も拭えない。 きっと、普通にはどちらもあることなんだろう。 ある場面では人を食べ、ある場面では自分を差し出す。食物連鎖の中にある動物たちのように。 だが、一方的に「食べつづけ」たり、「小声で苦しむ」ほどにまで自分を差し出しつづけるという不自然が、この人間

同じ時代を。

「同じ時代を」 ASKA、1998年 誰かの肩にあたらぬように ギターを持つ 流れる風景が落ち着いて ドアが開く 吹き込むような風をわけて 降り立った街 あのころがもうすっかりと 懐かしい ASKAの詞は優しい。 「みんなで一つになって頑張ろう」 とか、 「手をつなぎあおう」 とか、そんなことは言わないところが優しい。 どうしたって 過ぎて行く 時の中さ 止まっても 運ばれ行く 時の中さ 同じ船に乗り合ったもの同士が、その船を先に進めていく。 船の中にいる人の、態度や

ASKAの新曲「じゃんがじゃんがりん」と、SF映画『インターステラー』に共通するもの。

新型コロナの影響で、娘の幼稚園が突如休園になった。 卒園を控える中、残り1日1日を大事に過ごそうと思っている最中のことで、とてもとても、悔しい。 2020年の現在。 7年前、東京でのオリンピック開催が決まった時に想像していた景色と、それはだいぶ違う。 生まれたばかりの娘を抱きながら、私はこんな未来に思いを馳せていた。 すくすくと育ち、天真爛漫でいながらちょっぴり大人びた7歳の娘と、まっすぐな期待で胸を膨らませ、お祭り騒ぎを見にいく… そんな教科書めいた一点の曇りもない未来

全盛期を過ぎてからの生き方、愛し方。

人の魅力や能力には、どうしても<全盛期>というものがある。 それを過ぎても愛される人というのは、「老いてなお」という要素よりも、「老いてこそ」というものを持っているんだと思う。 「老いてなお」、一般的にはこっちを自然と目指す人の方が多い。 ある程度歳をとってくるとわかることだが、周りの美人だなぁという人達のほとんどは、昔からメイクが上手だった人だ。 若さで乗り切ってた部分は、熟練技術なしでは隠しきれない。 男性だってそうだろう。 不健康や不摂生を放っておいた人に、「老いてな

大人の心の中には、個室が必要だ。

先日、友人と雑談ついでに相談めいた話になった。 「夫がそっち系のお店に行ってた」のを知ってしまった、らしい。 色々と胸に積もる想いをポツポツ述べながら、彼女は言った。 「別に、行ったってことを怒ってるんじゃなくて。それを『ただその場の流れで』って理由だけでやってたのがムカつく」 そりゃそうだね。 慣れ親しんだ間柄で深く傷ついたり、激しく怒ったりするのは、大事にしてるものへの温度感の圧倒的な違いを感じた時だ。 色々考えてしまう彼女。 とくに何も考えてなさそうな彼。 夫婦って