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私のこと

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なんでこんなnoteをやっているのか、また日々のエッセイなど集めました。
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記事一覧

経験値ゼロの私がヨーロッパから役者を呼び、英語劇のツアーを回っている話。

今、オーストリアからAlessandro Visentin(アレッサンドロ・ヴィセンティン)という一人の役者が来ている。 3週間の小さなツアーを日本で回るために。 彼が遠く日本へと運んできたものは、「英語劇」だ。 ただ英語で演じるだけの劇ではない。 中学生から大学生までの観客たちに、英語のレベルに合わせて即興で言い回しを変えながら、たっぷり英語に浸る90分間を提供する。それが英語教育劇と言われるものだ。 ヨーロッパでは、教育に演劇を活用する動きが盛んである。演劇は体の動き

子育てと犬育て、その近くて遠い関係性。

先日、初めて犬を飼うことになった。 まだ2ヶ月、よちよち歩きの黒柴ちゃんである。 実家にいた頃は長いこと犬を飼っていたが、世話はほとんど母に任せっきりだった。 だから、犬への接し方や散歩の連れて行き方くらいは知っているが、子犬の育て方やしつけの仕方となると、私は全くのビギナーで自信がない。 いくつかのペットショップを回り、我が家で飼えそうな子を慎重に選んだ。 この子と決まった後、家に来るまでの数日の間は不安で落ち着かなかった。 そんな私を尻目に、無邪気にワクワクする娘と、

ご機嫌に生きる秘訣を教えてくれた、中沢新一の書籍たち。

たびたびのことだが、自分の情報量の浅さに恥ずかしくなったり申し訳なくなったりすることがある。 もう少し深い人間でいられたらなぁ、とそんな時には思ってしまう。 また反対に、なんでもややこしく考える癖がついているアタマに、心底うんざりすることもある。 もう少しお気楽に考えられたらなぁ、と。 でも、こうも考える。 持っている情報が深すぎると多くの人との会話が弾まないし、何に対してもあっさりしていては気付きや思考の楽しさが生まれない。 なので私は浅さとややこしさの両方を抱えながら、

GIVEの精神に、心温まります。

犬山翔太さんが私の記事をnote内で取り上げてくださり、本当にありがたく思う。 まるで受験勉強の机に、夜食のあったかいきつね蕎麦が届けられた感じ。 心にあかりが灯りました。 犬山さんご自身、質の良い音楽レビューサイトをずっと長いこと運営されているようで、そのご実績と、noteに関しても他人からの"TAKE"ではなく、直感的にスキをたくさん"GIVE"してくださる態度がとても素敵で、いつも見習いたいと思っている。 * * * 私がnoteに記事を書く際、気をつけていることが

古い曲の歌詞、という考古学。

「東京ポッド許可局」というラジオが大好きである。 Podcast時代から聴いているので、かれこれ10年ぐらいになるだろうか。 子育てやらなにやら、主婦はこれでも結構忙しいので、たまにラジオを聴く余裕がなくなる。 それでもこの番組だけは、追っかけてでも欠かさず聴いているのだ。 この番組のなにが面白いのかといえば、「文系芸人が行間を、裏を、未来を読む」というサブタイトルにあるように、普段の生活では言葉になりきれていない感情というものを、ユーモラスなおじさんたちが文系な脳みそフル

家事という儀式を悪者にすると、人は暮らすのがしんどくなる。

最近、2ヶ月ぶりだろうか、久しぶりに一人で家にいる時間ができた。 7月の半ばから夏休みが始まり、家事をしている間にも誰かが近くにいる日常が続いていたので、マイペースな家事を久々に経験したのだが、なんだか心洗われるほどに癒されたのだ。 家事に癒される? とても不思議なことだ。 今の世では、家事は悪者。 「時短」「効率」「外注」「ロボット導入」 こんな言葉を目にしない日はないくらい。 これらすべて、「家事する時間はなるべく短い方がいい」という発想から出てきたものだ。 家に

分析は楽しい、まして生きている作家の分析は。

このnoteを、どんな方が読んでくれてるんだろうか、といつも想像しながら書いている。 前回、光GENJIの「THE WINDY」歌詞分析記事を書いたところ、ツイッター上で100人の方からいいねを頂いた。 noteでもスキ、と言ってくれる方が幾人かいらっしゃって。 とっても嬉しい。 普段ふつうに過ごしてて、100人の人から「いいじゃーん」とハイタッチされるなんて、とてもないことだ。 反響を気にするなんて…うん、我ながら浅ましい。 だが正直、誰にも頼まれず、また誰がこれを喜ぶ

書くという行為は、心のバロメーターである。

文章を書くことには、頭を整理し内省もできるという、とっても優れた効力がある。 そう、これができるので私は昔から文章を書くのが好きだ。 noteを始めてもうすぐ一年が経つが、書くという行為にはさらに大事な役割があったことに、私はこの一年で気づくことができた。 今回はそれについて書きたいと思う。 私が気づいた大きな効力、それは「文章を書く行為そのものが、自分の状態を知るバロメーターになり得る」ということだ。 人には、気分が上がる時と落ち込む時がある。 そして人の生活は、気分

’90年代からのタイムスリップ、2020年のASKAの衝撃

謎のタイトルでしょう。 先日、ASKAのライブを観に行ったんです。 実に、20年以上ぶりに。 衝撃的! すごく良かったのよ! とシンプルに言いたいんだけれど、それを書くだけじゃ何の芸もないので、何が「良かった」のか、それこそ観ている最中からずっと根問いし続けておりました。 なので、今回は辿り着いた考えについて、書くつもりです。 分析めいたことを書くと、今のアツい気持ちと食い違ってしまいそうで、少し怖い。 なので、今回は乱れまくる文体のままで突き進もうと思ってます。 すみ

褒められた人は、他者を褒めるようになる。

先日だが、初めてnoteの記事に「サポート」というものを頂いた。 まさか好き勝手書いてる記事でお金を頂けるなんて考えたこともなかったので、どうやって受け取るのか慌てて調べ、諸々手続きをした。 ちゃんと受け取れるのか、いまだに不安である。 投げ銭なんてレベルでなく、ちゃんとした本を買えるような金額だ。 改めて、そのサポートを下さった方の持つ懐の広さというか、他者に向ける愛情の大きさを感じている。 ”その方”とはもちろん直接お話ししたことはなかったが、noteを始めたとき、か

トシちゃんのように踊ってみよう、ダンスの魅力がわかるから。

人は、自分からかけ離れたものを敬遠してしまいがちだ。 私は子供の頃から、運動神経がない。 なのでスポーツを心から好きになり、夢中で楽しんだ経験がないという、残念な人間である。 身体を動かすことは好きだが、コツや楽しさを掴むのに時間がかかるゆえ、すぐ飽きる。 だから新しく何かを始めても、入り口あたりをうろうろするだけでそのスポーツの根本的な面白さには触れずにここまできた。 スポーツ以外にも、いろんなジャンルで人それぞれ、そういうことは起きうるだろう。 大人になればより一層、

自己紹介、そして楽曲インデックス。

振り返ってみれば、ASKAの歌詞分析記事を書いてみようと思い立ち、noteを始めたのが2019年はじめのこと。 それから1年が経ち、だんだんと記事もたまり、どんな曲について書いたのかスクロールして探すのが難しくなってきたので、インデックスにまとめることにしました。 あ、自己紹介が遅れましたが、ASKA(1958〜)というアーティストであり詩人の分析記事を主に書いているs.e.i.k.oと申します。 子育て中の、ごくごく平凡などこにでもいる人間です。 そんな私がある日、10

SNS時代に自然発生する、音楽ファン達の「遊び」を覗いてみると。

前回の記事で「ファン達がチャゲアスの新譜を作った」と書いたところ、「AI美空ひばりみたいに、新曲を勝手に作ったのかと思った」との感想がつぶやかれているのを見つけ、なるほど…と唸ってしまった。 確かに、あのタイトルではそう思われても仕方あるまい。 キャッチーさを優先させてしまい、申し訳ないです。 しかしASKAの歌詞分析を趣味としている私も、心のどこかで「ASKAみたいな歌詞を自分でも書けたらなぁ」なんて思わないでもない。 彼らの音楽への愛が深まりすぎて、それに限りなく近いも

私の視線を吸い込んでる、君へ。

昨日も、6歳の娘と言い争いになってしまった。 心無い言葉をかけちゃったかな。 意地悪で言ったわけじゃないけど、いつもなら思い測れるところの手を抜いたなら、その奥にちょっとは意地悪な気持ちがあったのかもしれない。 大人のそういうのって、子供にはよく伝わるもんだ。 娘は、一日のあいだで伸び縮みをする。 朝、ベッドから出てくるときは「こんなに小さかったかな?」と思って抱きしめてみる。 夜、髪の毛を乾かしてるときには「はあ…いつの間にかこんなに大きくなったもんだ」と、私の胸の辺りま