平成の盆土産
大学に入学して独り暮らしをはじめてから早くも4ヵ月が経ち前期課程が終了した。
7月末日に2週間続いた前期テストが終了し、8月は長野の実家に行くことになった。
長野の実家は北陸新幹線の佐久平駅近くにあるが、1997年8月当時は開業直前の為に在来線を利用する。
8月に入ったある日のお昼過ぎである。
友人とコンビニで買ってきた冷やし中華を一緒に食べた後、居心地が良かったアパートを出発し最寄りの駅に向かう。
電車に乗ってから高崎駅へ到着する頃には既に夕方になっていた。
高崎に来たついでと思い、駅周辺を散策してみることにした。
子どもの頃食べたことのある”高崎名物だるま弁当”がキヨスクで売られ、ベルギーワッフルの香ばしい匂いが駅ビル入口付近を漂っていた。
駅前はとても賑やかであり、群馬県の若者たちが集まる”聖地”のような雰囲気だ。
VIVRE向かい側にあるサンテオレでいつものコロッケバーガーとカフェラテを注文する。
窓際の席を選び、VIVREエントランス付近を窓から眺めながら休憩。
窓から見えるカラフルな真夏の景色を眺めながら、普及し始めたばかりの携帯電話を片手に、男女数人が待ち合わせ相手と連絡している。
信越線下りの電車が発車する時間となり、サンテオレを出て再び駅構内に向かう。
いつも信越本線2番線ホームから発車する。
高崎出発時はラッシュ時と重なった為なのか車内は満員であった。
大きなToys “R” Usの買い物袋を抱えた斜め向かいに座る女性側の窓が唯一眺めることが出来る。
その車窓から、しばらく外の景色を眺めていた。
その女性は次の駅”北高崎駅”で下車したため、車内に少しゆとりが戻ってきた。
さらに群馬八幡駅、安中駅でほとんどの乗客が下車した。
磯部駅を過ぎた頃から、急に電車の中は寂しくなった。
同時に窓の外の景色も市街地から離れるにつれて、田園風景に変わり、夕日に逆光となって浮かび上がった妙義山が険しい碓氷峠が近いことを予感させる。
横川駅に到着すると日の入り時刻前であったが、西に立ちはだかる県境の山々によって、夕日の光は遮られて辺りは薄暗くなっていた。
ここではEF63という碓氷峠専用に開発された電気機関車を連結する作業が行われるため、数分間停車する。
この時間は横川駅の名物”荻野屋さんの釜めし”が販売されることで有名である。
翌月の北陸新幹線開業にあたり、横川と軽井沢間は廃線となり、このような風景も見納めであると考えると少し寂しい気持ちもあった。
ちなみに荻野屋さんの釜めしは、益子焼の駅弁として有名であり、地味ながらとてもおいしい。
ここからは連結された電気機関車から伝わる振動を感じながら峠を上り、幾つものトンネルを通過する。
途中丸山変電所や、高架橋を通り過ぎていく。
横川を出発してから20分程走り、軽井沢駅に到着する。
EF63電気機関車とお別れをしてからは、電車は通常走行に戻る。
小諸駅に到着するころには、辺りはすでに真っ暗になっていた。
駅に到着しホームに一歩踏み出すと、高原の香りと、涼しい風が迎えてくれた。
改札口を出ると父がクルマで迎えに来ている頃である。