私、愛取る

天気は晴れ。今年一番の暑さを迎えた昼間に、雷の音を聴きながら街を歩いた。現実と耳から入る音は相反していて、気持ちよく感じた。前職のオーナーに、『ナチュラルな奴はおもんないから、ケミカルな奴が良い』って言われたのを何故だか思い出した。

正社員になってあっという間に半年がたった。中卒で学歴コンプレックスの私が、有名な企業の会社員になれるなんて思ってもいなかった。一年前は日々を生きる事に精一杯で、自分の人生なんて考える余裕なんて無かったし、興味も無かった。どうせ死ぬし、生きてても価値なんて無いし、誰にも必要とされてない。両親が死んだら、私の事を知ってる人なんて誰も居ない。友人も居ない。人を傷つけてはいけない理由に、その人にはその人の美しい人生があるから。とドラマで学んだ。私の美しい人生って何だろう。あの人達の美しい人生って何だろう。孤独って言葉では解決できないくらい、肥大化したこの闇は果たして美しいのだろうか?誰かが共感を示し、理解してくれるのだろうか?

視点が変わる事って心の扉に鍵を締める事に似ている。私が憧れていた一般的な事って、私にとっては不得意な事だと気づいた。今でも電車に乗る事は不快だし、ランチタイムになったらオフィスから出てくる大量の働き蟻を見ていると、心がギュッとなる。ビルを眺める事は好きだけど、そこで働く自分の事は想像できない。会社員って一般的、世間的、社会的、倫理観や、道徳心のグラフをバランスよく、そしてオールgoodを取らなくちゃいけない。一つの行動が波紋の様に広がり、誰かの想像力を膨らませる。だから、普通にしないといけない。静かにしていたら、可笑しな人、よく分からない人ってカテゴライズされる。私の事を知ったからってどうなるの?アイスブレイクが苦手だ。思ってもいない事を二倍にして会話する。上司、同僚と話す時は、精一杯明るく振る舞って、その一時間後には心を痛めつけている。そんな事の繰り返しが、私の憧れていた正社員。

勿論、悪い事だらけではない。個人を保証される事においては多幸感を得られた。賞与をいただく事への満足感。よくよく計算したら、インパクトはあるものの、アルバイトの時と年収は変わらない。面白い世界。法的に守られ、安堵できる休日は会社からの連絡で心は休まらない。スマホの電源を切り落としたい、誰からも連絡は来ない。万が一の事ばかりを考えて今日もSNSを覗く。

私が何を言いたいかというと、結局私は普通にはなれない。一般的な生活は歩めない。それならもう、異端児として生きた方が良いとまで思う。ただ私の中で沸々としている、人に馬鹿にされたく無い。という気持ちだけが生きる糧になっている。同情されたくない、何も無い人だと思われたく無い、人権を保ちたい、弱者ではいたくない。マイノリティに含まれる全ての人間がそう思っている筈。LGBTが集団になって闊歩している事が不自然な事に見える。集団でなくても個人として、私達は生きていい筈なのに。そんな事を永遠に考えてたら、阿呆らしく感じて気づいたらyoutube見てる。私はいつまでも弱者。

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