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最近のnoteは、気兼ねなくお茶会をしている気分に近い。

noteを始めたての頃。noteに綴る言葉全て、「手紙みたいな文章にしたい」と思っていた。私の言葉よ誰かのお役に立てと少し厚かましくおこがましい気持ちに溢れていた。恥ずかしい。けれど、それもその時の素直な自分だから、優しく受け入れてあげたい。すごいと思われたかったんだよなあ。

そして、そんな時期と今を比べると少し変化している。ここ数日はnoteの投稿が単純な楽しみになっていた。noteを続けて書くことで、少し私の中のnoteの在り方が変わっていた。
(たった5日だけど。)


密かに尊敬している望月さん。素敵な額縁の中に私のコメントもおさめてくれたとのこと。なんてこった。嬉しい。また嬉しくなって、「心が動いたらコメントすることを止めないでいよう」と思えた。望月さん、ありがとうございます🐉✨

そしてその記事も、まさに最近の自分のことを書いてくれたのかと思ってしまう言葉が紡がれていた。

“人との接点が乏しい生活をしている中で、今日も誰かがわたしの文章を読んでくれている、誰と話さなくても誰かとつながっていると思えたことは、わたしを強くしてくれたと思う。人は人とのつながりに生かされていると気づかせてもらった。”

「noteでいただいたコメントを額縁に入れて飾ってみた。」より

日々のなんでもないことをnoteに書く。それを読んでくれる誰かが居て、スキ・コメントでリアクションを与えてくれる。それがあるから、家で一人でも「なんだ、私、寂しくないや」と気づくことが出来た。

夫とのこと。今日嬉しかったこと。苦しかった過去のこと。自分の生活で起きた何でもないけど、誰かに聞いて欲しいこと。聞いてほしいけど、話すほどでも無いかと足踏みしてしまうこと。

人の目を気にして八方美人になってしまう私。今までだったら、友人とのお茶会で話していたこと。今までだったら、「これは話すの止めとこう」と思うこと。
そういう気遣いをせずに思うまま話せている。伸び伸びしてる。そんな感覚。唯一何でも曝け出して発信できる場所。それがnoteなんだなって思ったら、すごく救われた気持ちになった。
だから、顔は見えずとも縁あってお知り合いになれた方・リアクションをくれる方、全てに改めてありがとうという気持ちになりました。月並みだけど、人との繋がりって人間には欠かせないんだろうなと思う。

この連続投稿もいつまで続くか分からない。けれど、「また明日、投稿出来たらいいな」「新しい出会いがあるといいな」と思いながら今日を繋げる。そんな一日。

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