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試訳:金世佳、葛藤の軌跡

原文はこちら→人民文娯20220328掲載 原題:金世佳、曾经这么拧巴

「人は樹のようなものです。私が不在だったこの二年で、皆は枝や葉を茂らせて豊かになりました。私は(中国でのキャリアを切り倒すように一度捨てて留学したので)まだ小さな切り株かもしれませんが、地中の根は見えないところでますます強くなっています」

金世佳は初めて演技のクラスを受けた時のことを今でも覚えている。
それは上海戯劇学院の試験前研修クラスで、107号室のドアを押し開けたところ、思い描いていたような、漫画のような四方に金色の光がぱあっと拡がるような光景は現れず、ドアの向こうには、試験の準備をする学生の、パフォーマンストレーニングをする素朴な光景があった。
しかし、俳優になってからは、弾ける華やかなキャンディのような感覚になり「口に入れた瞬間は甘くて、何が起きているのかわからないうちに口のなかで弾けてしまいます」という。

成長の過程全体を通じて、金世佳は常に世間相場を覆す選択をしてきた。オリンピック選手の候補生名簿に名前が載ったことをきっかけに、10年以上頑張ってきたプールを離れて俳優を志し、「愛情公寓」(2009年8月5日放送開始・中国)の人気が盛り上がり佳境に入ったころは日本に留学していて、生活の心配と舞台の不安に翻弄されていた。データやアクセス数がキャスティングの基準の一つになったとき微博の利用を止め二年以上が経つ。
20代は理想と現実に翻弄されながら芸術の追求に明け暮れ、30歳を越えると「二年前には馬鹿にしていたことを全部やる」と豪語した。
最近ネットドラマ「猎罪图鉴・猟罪図鑑」の人気により金世佳は再び注目を集めており、こうした過去も繰り返し掘り起こされ言及されている。
今そうした過去を振り返り、金世佳は人民文娯の記者にこう言う。「自分は考えることがとても多い人間」だと。長い混乱期間を経て、現実と向き合うことを学んだ。
日本の有名な映画監督である小津安二郎は「映画の良し悪しは後味で決まる」と言った。金世佳は人生経験も同じことが当てはまると感じている。

《演技は人生を模倣することではない》

金世佳は「刑偵八虎」についての記録フィルムをみた。これは公安部の八人の特別犯罪捜査専門官の物語である。そのうちの一人で、紙とペンを武器に1,000件以上の事件を解決した「神筆馬良」こと張欣が強く印象に残った。

猟罪図鑑 檀健次、金世佳


2021年、春節が過ぎてすぐのころ、「猎罪图鉴・猟罪図鑑」の台本が渡されて、それは偶然にも肖像画家に関わる話だった。刑事の杜城は画家の沈翊を師匠・雷一斐の死にからみ恨んでいる。7年後、沈翊は肖像画家として杜城の刑事チームに加わり、二人は誤解を解き、お互いを信頼し、複雑な事件を共同で解明していく。
杜城は金世佳にとって初めての警察官役だが、観客の印象のなかにある固定された警察官のようには演じたくなかった。最初、金世佳は杜城について刑事警察官だから非常に鍛えられた体つきで筋肉質であるはずだと考えた。でもよく考えてみたら「刑事警察官で隊長、毎日寝る暇もないほど忙しいのに、どうして日がな一日ジムでトレーニングしていられるだろうか?」と気づいた。金世佳はノーメイク、髪型も服装もごくごく普通にすることを要求した。金世佳はイメージに対して決してリスクを負わなかったが2014年陳建斌監督の「一个勺子・A Fool」で知的障害者を演じたときは、髭を生やし髪もぼさぼさで、誰だか見分けがつかなかった。

一个勺子・A Fool

これまでの撮影では、金世佳は通常撮影が始まる前にキャラクターの人物像を匂うように思い描いてきた。しかし杜城に関しては演じていくうちに杜城がどういう人間なのか少しずつわかってきたという。撮影中に考えていたのは「どう演じるべきか」ではなく「もしそんなことが起きたら杜城ならどうするか」だった。
物語のなかで、7年前、謎の女性が沈翊を訪ねてきて雷一斐の幼少期の写真をもとに現在の姿を描いてほしいと頼んだ。犯人たちは沈翊の絵を手掛かりに雷一斐を殺害した。事件後、警察は沈翊を発見し、杜城は謎の女性の肖像画を描けるのではないかと期待したが、できなかった。台本のこの場面の設定によれば、沈翊が雷一斐を間接的に殺害したことになるので杜城は彼に対して非常な憎しみを抱いていて、尋問中、とても強気だった。しかし金世佳は、もし杜城が本当に雷一斐をかけがいのないものとしているなら、ずっと沈翊に対して居丈高に接し、命令口調で要求し、殺人犯を追跡するあらゆる手掛かりを得ようとは、できないだろうと感じた。さらに杜城は当時まだ新人警察官で、心は比較的単純だった。最終的にこの場面は、杜城は厳しい態度から哀願に至るまで恩師と仰ぐ人の死に対する若い刑事警察官の痛みと、犯人を追いつめ事件を解決したいという彼の熱意を豊かな表現で伝えている。

金世佳は、演技はドキュメンタリーを作るようなものではなく、ましてや人生を模写するようなものでもないと認識している。
「猎罪图鉴・猟罪図鑑」では格闘シーンが多かったが、あるとき敵役の俳優が誤って彼に負傷させてしまった。夜中の二時か三時、病院の救急科へ駆け込んだときのこと。控室で、二人の警察官に付き添われた手錠をかけられた男に遭遇した。付き添っていた助監督は突然緊張した様子でこう言った。「佳兄、あの人、手錠をかけられますよ、手錠!」「毎日芝居で殺人犯と一緒にいても怖がらないのに、手錠をかけられた人を見るのは怖いの?」この出来事で彼は「真実と虚偽の境界は存在する」とベツモノの認識を強くした。

「演技は人生を洗練したものであり、実際の人生を再現するものではない」金世佳は記者に対し、演技に自分のアイデアを加えて、キャラクターにその役者ならではの個性を与えるのが好きだと語った。

黒社会と悪の一掃をテーマにした映画「扫黒・决战」(邦題:修羅の街飢えた狼たち、2021年5月初公開、日本公開は同年10月)に参加したとき、金世佳は、この映画の複雑さは灰色のキャラクター・曹志遠(張頌文が演じた)にあると思っていた。黒白が分かれた後、中間にある灰色がより鮮やかになる。自分が演じる孫志彪は白黒の黒を担当する。彼はあからさまに人物が見える方法を選択した。すなわち、凶暴性、常に睨みを利かせ、横柄で凶暴な孫志彪。これを意外だと喜ぶ人もいれば、力みすぎだと思う人もいる。誰にでも受け入れられるものではないと、とっくから予想はされていたけれど、金世佳はこのようなパフォーマンスを楽しんでいる。

《根付いて二年》

金世佳は「愛情公寓」の陸展博を演じたこと世間の注目を集めた。このドラマは卒業を控えた彼にとって記念作品の様なものだったが、結果は予想以上だった。
「飲み物を買ってボトルキャップを開けると裏に『もう一箱』と書いてあったような感じです」
開封の結果が発表されたとき、金世佳はすでに遠く離れた外国で、生計と学業の両立でとても忙しく過ごしていた。

上海戯劇学院を卒業したとき、金世佳は演技と自分の将来についてまだ多くの疑問を抱えていて、学校で尊敬されている先生にアドバイスを求めたところ、「演技は芸術だが、役者は職業です」と言った。その時多くの話をしてくれたけれど、彼にとって分かったようでわからないような、でも比較的はっきり理解できたのは「若いうちは負けることを恐れず奔走していろいろ挑戦してみなさい」ということだった。そこで金世佳は先生の推薦状をもって日本の大阪芸術大学舞台芸術研究所への旅に出た。

日本留学に関して、両親からの援助は得られず、金世佳は学費と生活費のすべてを大学時代の映画撮影やコマーシャルで作った貯金で賄った。しかし授業料やその他の多額の費用を支払った後、手元にほとんど残っていなかったため、生活は恥ずかしいほど大きく変わり、酷いときには水道水だけで三日連続、空腹を満たさなければならなかった。
食べるために大阪の求人サイトを閲覧し、下宿近くの商店街で新聞配達、牛乳配達、配膳、おにぎり作りなどの日常的なアルバイトを直接見つけ出し、道路の修理や家の引っ越し、電柱に登り、寺院の僧侶の儀式の手伝いもした。
人生は徐々に軌道に乗ったが、学業上の課題も次々と降りかかった。金世佳が主役の舞台の、最初のリハーサルは、開始15分で中断された。
先生は煙草を吸いながら彼を指さすので歩いていくと、こう尋ねられた。
「恥ずかしいのか?」
金世佳は日本語が達者でないから聞き間違えたのかと思って「え?何?」と驚いて答えた。すると思いもよらず先生は煙草をくわえたまま彼を見もせず、怒鳴った。
「恥ずかしいのか?演技の経験は?勉強は?こんなろくでもない奴を見た事がないよ!」
金世佳は冷や汗をかきながら先生を見つめたが、結局、相手の唇の動きだけが見えて、何を言ってるのか聞き取ることができなかった。
一か月半のリハーサルは地獄にいるようで、毎日部屋に戻るとA4の紙に「羞恥心」と書いて壁に貼った。
日本のリハーサルは習慣で先生は木刀を手にし、やり直しの意味でダン!と床を叩く。金世佳の番が来るたびに先生はダン!ダン!と叩き続け、緊張のあまり金世佳はステージに進んでもそのままひきかえしてしまうほどだった。公式公演まで彼の耳にはずっとダン、ダン、ダンという音が響いていた。
公演終了の打ち上げで、先生は再び彼を呼んでこう尋ねた。
「リハーサル初日をまだ覚えてますか?なにを訊いたか? 40年教師をしてきたけれど、どの芝居でも同じ質問をします。私はまず役者たちを叩きのめします。この40年、多くが挫折し二度と立ち上がれなかった。でも立ち上がった奴は今でも立ち続けています」
2009年、日本に来たときは90㌔あった体重が足掛け2年の厳しい生活と公演のプレッシャーで卒業し帰国する時には74㌔までになり、ずっと欠けていた鋭さを得ていた。金世佳は後にこの経験について「人は樹の様なものです。私が離れていたこの二年で、誰もが枝を伸ばし葉を茂らせ、より豊かになりましたが、私は(一度キャリアを切り倒すように留学したので)まだ小さな切り株に過ぎません。でも、見えない土の中ではどんどん根を張って逞しくなっています」と語っている。

原文より抜粋

《手放すもの、持ち続けるもの》

金世佳は帰国後、上海で二年間舞台演劇に出演したが誰が演じても観客からは同じように拍手が送られることに気づいた。役者がそのようなお行儀のいい拍手に耽っていたら進歩は無い。そこでより大きな舞台を求めるようになり、映画やテレビドラマに戻り、「一个勺子(A Fool、2014年公開)」のような文芸作品や「到青春・原来你还在这里 (Never Gone、 2016年公開)」「陪安东尼度过漫长岁月(a journey through time with Anthony、2015年公開)」などの青春ドラマに出演した。

しかし、この時点でますます葛藤が激しくなった。純粋な芸術と意義の追求を望んでも、幾つかの妥協が必要だった。理想と現実の間で引き裂かれる思いを繰り返し、彼は葛藤した。最悪、完全に煮詰まってしまい、家では両親でさえ話すことが出来ない時期もあった。
2017年、30歳の境目を越えたばかりの彼はほぼ二年撮影するものがなく、自分の人生、キャリア、将来について混乱に充ちていた。金世佳と一緒に仕事をした「吃吃的愛(Didi's Dream 2017年公開)」の監督・蔡康栄は、まだ届いていない100点の台本を待っていないで、60点や70点の台本が手元にあるなら、70点の台本を受け入れるべきだとアドバイスした。

狂飙・田汉传

金世佳が舞台劇「狂飙・田汉传」(邦題:風をおこした男 田漢伝、2018年日本公演、日中平和友好条約締結40周年記念公演)に出演し、彼に最大の変化をもたらしたキャラクター田漢に出会ったのもこの年(2017年)だった。この物語は現代中国におけるセリフ主体の演劇の創始者であり、劇作家である田漢(1898年~1968年没)の、飽くことなく愛を追い求め、狂ったように演劇活動に命を燃やした人生を描いたものだ。
「狂飙」はリハーサルから本番までわずか23日しかなく、金世佳は日に4時間の睡眠で、ずっとセリフを暗唱していた。田漢の人生は真実を追求する人生であり、純粋でロマンチックで、真理を熱心に追い求めた。準備とリハーサルの過程で、彼はしばしば田漢の誠実さに感動した。
「演技だけど、私は自分を彼だと思う」
その時代独特の真実と誠実さに、金世佳は田漢がよく口にした「誠実さは巨悪に勝てる」という言葉に共感し、それ以来「自分自身と正直に向き合う」ようになり「真摯に生きる」を人生の信条としている。

日中平和友好条約締結40周年記念公演 『風をおこした男―田漢伝』  中国語上演・日本語字幕 劇場HPにある詳細はこちら。

「狂飙突进・ハリケーンラッシュ」の精神で中国演劇を前進させた田漢は彼に職業としての役者のあり方を教えてくれた。
「私は演技が好きでこの仕事につきました。良い演技をすること以外は、私には関係ありません」
金世佳はこの出演以前、嫌いなものだけをよく知っていた、と語る。田漢は彼にサポートを与え、この世界とより快適に共存する方法を見つけさせてくれた。
ちょうどその二年間、彼はフランス人教師の演技クラスを受講していた。「狂飙」の公演後、再び教室に行くと先生はこう言った。「今年は去年より調子がいいですね。去年来たときは何かたくさん背負い込んでいるようだったけれど、今年はとても多くのものを手放し、荷を下ろしたようです」

しかし捨てられないことがある。演技に対する羞恥心だ。
「扫黒・决战」の撮影で孫志彪には20以上のシーンがあり、金世佳は各シーンに多くの注釈とデザインを作成し、キャラクターの修正を繰り返し、磨きをかけた。
「猎罪图鉴・猟罪図鑑」でもっとも多く共演した檀健次は「金世佳はある種の粘り強さがあります。毎回撮影前に、彼はキャラクターの行動ロジックをすべて分析してくれるし、私もそばにいることで多くのことを学べます。彼のそばにいることでとても多くの栄養を摂取できるのです」と語った。

猟罪図鑑 檀健次、金世佳


北京での「狂飙」のカーテンコールで、金世佳はスピーチの最後に語った。
「芝居は嘘だけど私はいたって本気で取り組んでいます。田漢がそうであったように私もまたそうであります」
これが彼の態度であり、彼の描写だ。


原文の冒頭1


原文の結語

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