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洋服とごはん。と、


時間をかけて、
ありとあらゆるすきなものがふるいにかけられたように少なくなってきた。
自覚なく。

老いと共にすべては研ぎ澄まされ厳選されてゆくというのを聞いたことがあるけれど、
そんな高尚な感じではなく、
単に
関心のないことに目を向ける力が弱まったというだけのシンプルな流れだと思う。

自分のすきは
いつだって存在している。
日々の小さなしあわせを実感するために堂々と存在している。

そのなかでも

洋服とごはんは、
変わらずずっとすきなもの。


洋服がすきとか言っても、
ブランドに詳しいわけではなくファッション情報もぼんやりとだけ、
おしゃれだとか特別なことは全くないし、
ただ洋服がすき。
おしゃれもダサいも、線引きはなし。
本人がすきだと感じる感覚にまっすぐいられることが、いちばん。
と思っている。


ごはんがすきとか言っても、
食通なんてまるで無縁、食べたいものもいろいろさまざま、
グルメだとか特別なことは全くないし、
ただ食べることがすき。
味の好みは人それぞれ。
高級でもチープでも、
おいしく食べることが、いちばん。

そう思っている。



自由きままに、すき。

身につけるファッションや生活の中にあふれるたくさんのすきなものに触れること。
おいしいと感じるしあわせをずっと持ち続けていること。
ほんの小さなひとかけらが、とてつもないモチベーションを生むのだから
これはもう
ほうってはおけない。


歳を重ねたからなのかな、
素敵と感じる感性や好きでやまない感覚は、
ずっとぼやけていた輪郭のようなものがかすかに少しずつその形を決めはじめていて、
それが何なのか自分でもしっくりきているわけではないけれど、
ずっと前から持っている思いや最近になって気づいた自分のこと、
こうやって暮らしの中にちまちまと存在しながら、
傷ついたり笑ったりするたびに答えが近づいたり遠ざかったりして、
そばにいる人たちの声やまだ出会うことのない未来の人の声や気持ちまでいつか反映されるであろう自分自身に、
常に洗練されたまっすぐな心でいたいと願う、
ひたむきだけれどまだ何も持っていない手ぶらな人間の私が、
ただただ毎日を書き綴ることをやめないでおこう。
という、気持ちの表れなのです。

すきなものにしあわせをもらう。

その贅沢な今に、
ぼちぼちと感謝をつぶやく場所に。


洋服とごはんより、
もしかしたら言葉がすきなのかも。

そんな気持ちの今日です。



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