2X年前の高校合格体験記

筑附に合格した時が人生で一番嬉しい瞬間だったなぁ~と思う。
茨城の公立中学で部活がめちゃくちゃ忙しく、さすがに受験の年だからと周囲から少々遅れて3年生の春から塾に通い始め、一応その塾の中では一番上のクラス(といっても地域校なので他校にもっと上のクラスがあるのだが…)に最初から入れたが、19時まで部活⇒15分後に塾の授業という生活はとてもではないがほぼ睡眠学習だった。おまけに塾では当然のように使われているが学校では聞いたこともない定理とかがあり(ガウスの定理?的なやつ)、案の定全然分からなかった。ただ先生もこちらの事情を理解してくれているのか、寝ていても何か言われた記憶はないというか、何となく憐れんでくれたような記憶がある。そして授業前に呼んでくれて、怒られるかと思ったらその謎定理とかを補講してくれたりした。有難かった。ただしそんな先生の努力の甲斐もなく相変わらずの睡眠学習が夏まで続く。


塾の先生的には口では言わないものの夏期講習前に負けてくれという思いはしょっちゅう匂わせており、その願いは天に通じ、無事夏期講習前々日に引退が決まった。全国大会を目指していたが(この目標自体は実質無理だったが…でも部活の先生はその気で「茨城」と書いたユニフォームまで作っていた)県大会ベスト8で負けてしまい、チームのみんなは大泣きしていたが私は完全に体育会系泥臭青春ごっこに辟易していて、全く涙が出なかった。みんなが泣きながら夜の校庭で円陣組んだりしているところ、もういいからさっさと帰ろうと親に言って帰った。それくらい辟易していた。
学校での成績はいいくせにこんなボールも拾えないのかと散々「学校での成績がよいこと」を部活の先生に揶揄されていたのでそれもとても嫌だった。そのくせ学校の成績は落とすな(俺がとやかく言われるから)と矛盾していた。ちなみに先生の願いはむなしく部活が忙しくなるにつれどんどん成績は落ちておりました。

こんな状況なのでむしろこれからは勉強だわ、点数こそすべて、チームスポーツ&根性論くそくらえという強い気持ちで夏期講習に臨めたと思う。相変わらず勉強では塾クラスに追いつくことができていなかったが、夏休みにこれをやりなさいと数学の円に関するプリントがめちゃくちゃ出された。そして周りの子たちがその指示を無視して色々な科目をフラフラと勉強するなか、なぜか素直に取りつかれたように円の問題ばかり解いていた。我ながらなぜここまでずっとやったのか謎だったが、これが後から大きく効いてくる。

そういった中でようやく勉強に本腰を入れられるようになり、志望は一応県内の進学校。まぁ何とか受かるかどうか、とりあえず私立の特待は取りたいね~となっていた頃の面談。突然の呼び出しだったのでまた怒られるかな~と思っていたら筑附というところがあって…と受験を勧められる。筑波と名がつくが東京の高校らしい。先生曰く、1月が私立入試、3月が公立入試なので2月に国立を受けると間延びしなくてよいらしい。そんな高校があることなんか一切知らなかったし、私立で東京の高校ならまず受けなかったし親も受けさせる気はなかったが、国立なら値段変わらないらしい?ならいいか?という気になる。同じ塾では7人くらいが筑附受験組に誘われたらしく、女子で選ばれたのは私だけだった。推測するに私が完全に5教科でまんべんなく点を取ってくる国公立型だったこと、女子の倍率の方が低いこと、それから確かに同じクラスの女子の子たちは在籍期間は長いけれど何となく舐めたところがあって、後伸びはしなさそうな感じだったかもしれない。女子から選抜するとしたら春から入って散々寝た後は素直に円の問題を解いていた謎のジャージ女を選んでみたのかもしれない。とにもかくにも筑附受験組は通常プラスの特講みたいなのが入るようになった。多分費用は変わらなかったような気がする。良心的だね。相変わらず男子勢は優秀だし特講の授業はますます分からんぞとなったが、まぁ同じクラスの女子はあまり合わない悪いタイプの陽キャが多く、1人な方が気楽だわ~と思いながら円の問題を解きつつとりあえず授業に出ていた。

とはいえ何だかよく分からない筑附。遠いし実際通えるのか?というのもあり休日に親と学校見学に行くことになった。これが意識をかなり変える。建物は古そう。でも体育館は中高一緒だから大きい、これはバレーコートが3面張れる。引退時は大嫌いだったはずなのに結局こういうところでテンションを上げてしまう。見学に行った茨城の公立高校はバレーコート1面しか張れなさそうでちょっとがっかりだったのだ。でも何よりスポ―ツ大会が近いからと生徒が男女交って仲良く大縄跳びをしていたことが衝撃だった。高校生が私服で仲良く大縄跳び!
実は自由な高校にはずっと憧れがあった。校則を外すことは別にしないだろうけど面倒だし理不尽だし、その中で勉強中心な生活っていうのはつまらないだろうな~もっとワクワクするような場所にいたいという何となくの感覚があった。希望する進学校はそういう自由!みたいなのではなく、ごくごく平凡の制服・校則という感じでテンションはあまり上がっていなかった。

そして通っている中学は荒れに荒れていた。授業始まったら不良が出ていって校庭で遊んでいたりかくれんぼしていたり、窓ガラスは割れていたし机は彫刻刀で菊の紋が彫られたり「我友情永遠不滅♡」といったマジックの落書きが大量にあった。新学年になって初めにすることはマジックを消し、削られた箇所をパテで埋めて紙やすりをかけるのだ。
自分の行く高校はこんな風に暴走族のバイクが校庭まで入ってきたりいじめられている子の机に海苔の佃煮が塗りたくられるような環境ではさすがになくなるだろうけど、もうオラこんなとこ嫌だ~でも管理型の学校も嫌だ~つまらなさそう~となっているところに、校庭の仲良し縄跳びは目が覚める光景だった。なんて平和なんだ!ここはユートピアか?!私も大縄跳びたい!!!!あと3面コートでバレーもしたい!

見学して以降、俄然筑附を受けたくなったしあわよくば行きたいとやる気が出てきた。でも数学がめちゃくちゃ難しい。試しに過去問を受けたけどここは絶対落とすなといわれている簡単な大問1つしか取れない。過去問20点!さすがに凹む。元々数学が苦手なのだ。困ったが、同時にこの頃に夏にやった円の効果が出てくる。さすがにやりすぎて円のほとんどすべてのパターンを攻略したらしく、円の問題だけは間違うことがなくなったのだ。1つ絶対に落とさないぞというものが出てくると結構心は安定する。苦手な数学なので余計に効果があった。

モチベーションも上げつつ座りすぎからくる腰痛で湿布を腰に当てながら勉強していたら、系列校合わせた成績リストにもちらちらと末端の方に名前が出てくるようになってきていた。友人はすごいね~宇宙人だねと褒めているのか褒めていないのかという感じだったが、もちろん男子ズはもっと前の順位に名前が出てくる。土俵が違うので争うつもりもなかったが、まぁ中3から始めた割に全く食らいつけていないわけではないのかな?という気持ちにはなってくる。在籍期間が短かったので上だけ見ていればいいというのは何も考えず楽だった。

そんな中で受けた12月の最後の模試。これまでで最高の偏差値を取れた。先生のコメントには「筑附の背中が見えてきた!!」と大きく書いてある。これが嬉しかった。もちろんモチベアップが大いにあるのだろうけど、本当に背中が見えた気がした。ちょいちょいその模試の成績と先生のコメントを見返しながらひたすら勉強を続ける。

1月、私立入試。私立はマンモス校の特待狙いで2校だけ。あらゆるレベルの子が受ける学校なので友達と雪の中でワイワイ言いながら受けにいって、幸いどちらも最上位の特待が取れた。これまた嬉しくて自信になる。いい流れが来ているのを感じた。

そしてついに受験日。電車を乗り継いで受験会場へ。寒かった。ただもう私立の特待も取ってあるしそもそも雲の上のチャレンジ校、緊張は特にはなかった。
国語は取れた気がする。英語もまぁこけた感じはない。数学は期待もしていなかったし実際全然解けなかったが、ここの数値さえ分かれば後の問題解けるのにな~という図形問題をとりあえず手尺で適当に数値を出して埋める。多分これが奏功した。
午後の理科で沈没。全然分からなかった…涙。休憩時間に公衆電話で母にもう帰ると電話をかける。母は「いやいや、せっかく来たんだから最後の一教科くらい受けて帰りなさい」と言われる。あたりまえ体操。
幸い社会も可もなく不可もない感じ。

2日後に合格発表、親が見に行くのを家で勉強しながらそわそわ待つ。はっきり言って勉強が手につかない。
かかってきた電話を取るも仲良しの友達。まぎらわしいことするな!とキレて電話を切る(理不尽)。
そして電話。「なんか…番号あるんだけど…?」と親も困惑しながら電話してきた。受かった!!!泣いた。
もちろん後の勉強は放り出し、犬の散歩へ。中3こんなにスキップする?というくらいスキップして散歩した。叫びだしたいくらいうれしかった。

塾に報告に行くも、なんとあれだけ優秀だった男子勢は全滅だった。合格したら引っ越すと言っていたくらいの気概だった子もいたのに。。単純に倍率の問題だったと思う。実際に入学後の男子勢は優秀だった(もちろん女子もだけど、何というか男子は一段違う子が多かった)。
その前々日に実は公立の推薦も受けていた。可もなく不可もない試験と面接、手ごたえは全然ない。
推薦受かったらさすがに公立行かないといけないだろうな~となったけど、そっちは落ちた。落ちてここまでおめでとうと言われたのは初めてだった。

親からは長距離通学できるのか心配されたものの、もう私の心はヤンキー茨城さらば!待ってろ東京!というお気持ちでいっぱいで勉強する気にならなかった。また機会があれば高校生活編を書いてみるつもりだけど、そうやって熱望して行った高校、茨城からの通学はさすがにレアケースだったけど長距離通学もそんなに苦にならず部活もしながら楽しく大縄も跳んで過ごせました。きっとこのまま茨城で過ごしたかもしれないところ、あの日あの時勧めてくれた塾に感謝。

というわけで最近母校の名前が何かしら出てくるので懐かしくなって書きました。現在はすごい同窓生に時折眩しさを感じながら大変平凡に生きていますが、人生にそういう青春の時期があってよかったし、個人的にはどのような形であれ母校に進学してくる子に楽しい高校生活を送ってもらいたいです。頑張れ頑張れ受験生。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?