大衆に絶望した

この世界には、多くの人が生きている。

その中で私は、私の創作物や考えをできるだけ多くの人のために作るべきだし、それが正しいとだと思っていた。なぜなら、自分自身もそのマジョリティーに属しているし、多くの人に賞賛されることが誇らしく気持ち良いことだと感じられていたからだ。

しかし最近その考えが変わった。SNSを通じて見るコメントやYahoo!知恵袋などを見るていると、私が救いたいと思えるような考えの人たちが意外と少ないことを痛感する。

他人の不幸を望む人や、匿名だからと乱暴な言い方をする人、因果関係が理解できない人、幼稚な価値基準を信じている人などだ。正直私は彼らに関わりたくないと思ってしまう。

きつい言葉で言うならば、世界が自分の予想より馬鹿が多すぎてショックだった。私は私自身を賢いとは思ってはいないが、大人や世間はまともだと思っていた。

現状の彼らに対して、何かを作りたいというモチベーションが最近はなくなっている。 むしろ、自分の考えを真に共感してくれるニッチな分野の人のために何かを作りたいと思うようになった。

私の場合、主な活動場所としているデザインに対しても上記のようなことを思っている。

日本のデザインがダサイというのはよく言われることだが、それはユーザーがダサいデザインを選んでいると言い換えることができる。例えば、楽天のサイトはABテストの結果であり、実際に好成績が出ているものである。

が、私はあのサイトのデザインが汚くて嫌いである。 私は美しいものが作りたい。ただ大衆向けに作るのでは美しいものが作れないのであれば、自分だけの世界を理解してくれる人たちに向けて作るべきだという考えを思ってしまった。これはどちらかと言えばアート的な思考なのかもしれない。

デザイン以外の分野でも、例えば1人1票がおかしいと言う人の考えも理解はできるようになってしまった。経済学者や政治の専門家以外が同じ1票を持っている。コメント欄にいるような知能の人たちが同じ票を持ち、国の政策を決めているのに違和感を感じる。

この記事には結論がない。ただ自分が子供の頃に思っていたことを世間は賢くないし、正しくもないと言うことに絶望した件を話して、自分の気疲れを発散したかっただけである。

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