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超感動的ストーリーを!みたいなものを追い求めない自分も出てきた

もちろんストーリー性はコンテンツにとっても重要。感動的であったり、ポジティブであったり、どこか強めのコンテンツを作ろうと頑張っていた時期があったように思える。

取材や調べたものを材料に、「いい文章」「いい記事」に仕立て上げるのがライターだと思っていた。

でも最近、僕の好きな記事を読んでいると、あまりクドさを感じない事に気づいた。感情を押し付けない、強制はしない。なのに読んでいて引き込まれる。

https://baycrews.jp/feature/detail/7456

今年の4月、淹れたてのコーヒーを少しずつすすりながら読んだ記事。はあ〜と心地よいため息をつきながら楽しんだ。

記事の主人公は、フォトグラファー・長山一樹さん。取材は三浦希さん、執筆と編集は重竹伸之さん。三浦さんと重竹さん、お会いしたことはないけれど、おふたりの仕事が好き。時々こうしておふたりの仕事をモゾモゾと追いかけてしまう。

長山さんがまた素敵な方で、最初に知ったのは同じメディアの記事。三浦さんが取材と執筆、重竹さんが編集。この記事でビビッときた。かっこいい」と思った。

https://baycrews.jp/feature/detail/5676

記事にクドさを感じない。ファッションとはこういうもの、私はこんなにすごい人生を歩んできた。そんな押し付けに近い強制力のようなものは、記事を読んでいて見当たらない。

そのかわり、描写力というか、ひとつひとつを丁寧に拾っている感じが好きだなと感じる。

カメラでいうなら、「公園で楽しげな子どもたち」というテーマで写真を撮るときに、子どもたちの笑顔だけを撮らないというか。もちろん子供の笑顔を見るだけで、「ああ、なんて楽しそうなんだろう」と十分に感じられる。

でも子どもたちだけでなく、たとえば足元の枯れ葉を撮ってみたり、公園に建っている時計を撮ってみたり、笑顔もわからないシルエットを撮ってみたり。あとは真上の空とか、遊具を握りしめる手とか。

公園にいるのは、子どもたちだけではない。空があって、季節の移り変わりがあって、遊具があって、放課後という遊びに最適な時間があって、子どもたちの楽しい時間が成り立っている。

カメラにのめり込む人たちの中には、そういった「眼前の事実を丁寧に写していく」ことに魅力を感じる人もいる。僕が好きな文章は、そんな感じなのかもしれない。カメラを片手にフラフラ散歩しながら思った。

僕が好きな方たちの記事も、服だけのことは語らないし、「紳士とは?」に対してひとつの回答で済ませない。細かく言葉にして、並べていく。

それは良いインタビューと、深い知識と、ほかにもいろんなものがあってこそ成立できるもの。書き手が理解できていないまま、インタビューした人の言葉をただ並べるだけでは、伝わる文章にはならない。いくつか記事を書く中でわかってきた。

先述した記事を読みながら、インタビューされた人もした人も、きっとたくさん考えているんだろうなと感じた。

丁寧に言葉にしたものを、並べていく。並べることにも、経験や知識、そしてじっくり考える時間が詰まっている。句読点の打ち方も、書き手やインタビューを受けた人の話し方を表すもの。

そして並べたら、大げさな味付けをしない。強い言葉を使う必要がないくらい、精緻に言葉にして、並べている。


人が感動する理由のひとつは、新しい発見をしたときだと思う。でもそれは、まったく未知のことを知るだけじゃない。知っていること、過去のことに対して、それまでとは違う結びつけ方をしたときも、「新しい発見」と言っていいと思う。

僕は彼女からプレゼントをもらうとき、ただもらうだけじゃなくて、その経緯を聞くのが好き。いつごろから考えてくれていたのか、どんなことを考えて決めてくれたのか、そのような事実を新しく知ることで、プレゼントの持つ文脈や意味合いも変わる。

文脈の再構築で、僕たちの感情は動かされる。でも、その再構築の仕方は、人によっても違うし、状況によっても変わる。強制力の強いコンテンツは、そのことを時に無視してしまうのかもしれない。

文脈の再構築には、大げさな言葉もお飾りのような文章も必要ない。むしろ、詳細な事実のほうがほしい。テーマ性や個性は、言葉や事実の見つけ方・並べ方に宿る気がする。

だから、変に飾り付けようとしているコンテンツに対して満腹感を覚えるようになったのかもしれない。未来から見た時の束縛にもなる気がする。

ただ、今はそう思う、というだけ。きっと時間が経てば、また今とは違う記事を好きになる。その中には、素敵で芯の通ったストーリーやメッセージ性を持つ文章があるかもしれない。

でも今は、過去の出来事を再解釈して昇華させる時に見返すものは、なるべくフラットなものがいいと思う。辛いことは辛いままでいい。一生辛いままだと今思うのなら、その思いをそのまま残せばいい。

消そうとするのでもなく慰めるのでもなく、そのまま受け入れた上で残す。


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