動かしがたい「事実」を前に

最近、「AIで〇〇を作れるようになる!」と大喜びしている人たちを眺めている。同じような気持ちにもなるし、でも複雑な気持ちを抱くこともある。

ここからきっと、生きる世界は無限に、複雑に、理解不能なほどひっくり返る。今の僕の予測や不安は、きっと何も役立たないほどに、変わっていく。

仕事は、きっとなくなる。僕のようなライターなんて、すぐに淘汰される。でもそのころにはきっと、ずっとたくさんの人たちが仕事を追われている気もする。

そんなことはどうなってもいい。今は。(って言いつつ割と不安に思っている)

でも、その反動だからか知らないけど、「どうしようもないこと」に対して、最近は考えるようになっている。

僕の実家は、静岡県のどこかにある。父親と母親、そして姉が、家は違えど近い距離に住んでいる。平和な家族で、今だってGWの帰省が楽しみだ。

でも、近い将来、東海地震は来る。ぜったいに。震度7の揺れがくる。近い内にやってくる、と言われてから30年ぐらいが経った。

家族は死ぬかもしれない。たとえ生きても、地獄のような日々が待っている。

僕らが歳をとる頃には、気候変動が進む。台風がやってくれば、家がすべて吹っ飛ぶほどの強さで、風が吹き荒れる。

そんな世界で生きていることなんて、AIで騒ぐ僕たちはきっと忘れている。でも、紛れも無い事実として、存在してしまっている。

未来のことだからわからないじゃない、そう言ってくれる人もいる。でも、どれだけの学者たちが、どれだけ検討を重ねた上で出た結論か。その結論は、何年間そのままか。考えれば考えるほど、事実と言ってもおかしく無いと感じる。

そうでなくても、生まれた時点で苦しいことしかない。人の構造上、苦しみやつらさのなかで生きるしかない。それは、揺るぎもない事実。未来のことでも過去のことでもなく、現在進行形で眼前に現れている。

そのような事実を見据えた上で、もっとシンプルになれないもんかなあと考えている。

以上、日記でした。仕事が終わるの遅かったし、今日も頑張った。

気分:6/10
疲労:7/10

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?