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山岡鉄次物語 父母編5-6

《人生刻んで6》運命の出会い
 

☆生きて行くのも大変な戦後の混乱期、頼正と珠恵の物語を進める。

珠恵の直ぐ上の姉芳江には婚約者塩島がいた。

ある日、珠恵は婚約者を紹介するからと芳江に塩島の家へ連れられて行った。
その家は神社の脇にあり、人が住める程度で決して裕福な感じではなかった。

塩島は祭りや縁日で屋台を出して小売をするテキ屋をしている。

屋台の商売人は、露店商とか香具師(やし)とか的屋と呼ばれている。
テキ屋は、当たれば儲かることから的矢に例えた言葉である。

テキ屋には、親分子分の仁義で結ばれた特殊な関係の世界がある、一部暴力団との関わりを持つものもあったが、ヤクザとは違っていた。
例えば映画、男はつらいよの車寅次郎は明らかに暴力団の組員ではない。
まじめに露店商をやっている人たちを、一律に暴力団とみなして祭礼から排除すればお祭りは盛り上がらない。

塩島は塩川市の青柳組というテキ屋の元締めから商品を仕入れて商売をしている。

塩島のところには、悪さをして警察に保護されていた15~16歳ぐらいの少年がいた。青柳組の親分は警察からの依頼で預かっていたが、頼正の親戚と知って面倒を見てくれと塩島に任せた少年だ。

この少年は頼正の叔父の息子、従兄弟の道明だった。道明は家を飛び出してチンピラ生活をしていたところ警察に保護されたのだ。

道明は半年ほど頼正たちとテキ屋を共にしたが、どこかへ行方をくらましてしまった。

さて、話は頼正と珠恵の出会いへと進む。

珠恵が姉と塩島の家を訪ねた時のことだ。
珠恵は塩島の手伝いをしているという友人を紹介されたのだ。


その友人は「山岡頼正」と名乗った。

珠恵は頼正から優しそうで真面目な印象を受けた。

昭和21年、珠恵が23歳の時に姉の芳江は結婚した。結婚の宴は塩島の家で簡単に行われた。
この時、従姉妹たちは数人来ていたが、姉妹で集まることが出来たのは珠恵と清子だけだった。芳江はこの後4人の子供をもうけ、それなりに幸せに一生を送る。

芳江に誘われた珠恵は、しばらくしてから芳江の嫁ぎ先塩島の家に身を寄せる。

同じ頃、清子は息子の正二を連れて甲陽市に帰って行った。清子は焼失した甲陽市の住居跡の土地を元手に、中心地から離れた街外れに小さな家を設けたのだ。

義姉の八千代は初めから予定されていたこととは言え、珠恵と清子が家を出て行くのは仕方ないが、いっぺんにふたりがいなくなるのは寂しくなるらしく涙を浮かべていた。

『また、いつでも来てね。待ってるから。』

八千代の娘の喜美子も寂しそうにしていた。

珠恵は芳江のところから、製糸織物工場へ勤める毎日を送っていた。

ある日、工場へ頼正がやって来た。
頼正は珠恵を見かけると笑顔で近づきながら話しかけてきた。

『珠恵さん、ここで働いてたんですか。』

珠恵は恥ずかしげに答えた。

『ええ。』

2人はこの後度々顔を会わせることになる。

頼正の家は、珠恵の働く製糸織物工場を営む松本家とは以前から懇意にしていて、頼正が名付親をしてもらった家だ。
ちなみにいずれ生まれる山岡鉄次の名付けも、松本家にお世話になるのだ。

工場主の松本家は歴史のある家で、明治維新前までは庄屋をしていたことがある。
山岡の家は昔から何かとお世話になっていたのだ。

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