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山岡鉄次物語 父母編2-5

〈 若き日の父5〉暁部隊

☆頼正は8月に終戦を迎える年の3月に軍に召集された。

広島の宇品にあった陸軍運輸部船舶司令部の配下には船舶・通信・練習・衛生・教育・砲兵などの部隊があり、それぞれ暁部隊と称していた。

陸軍の船舶兵は、日本陸軍に属した船舶兵器を効率的に運用する為に存在し、陸軍独自の強襲揚陸作戦などの任務を担い、日本各地から招集された18万人の兵士が所属していた。

和歌山の暁部隊に入隊した頼正は上陸用舟艇に乗る船舶工兵だった。

入営したての初年の兵は二等兵となり、以後一期の検閲の選考を経て一等兵になり、更に成績優秀な者は数ヵ月後には上等兵になる。

約2~5ヶ月後の一期の検閲(見習い修了の検査)が終わるまでは、初年兵(二等兵)の頼正は地獄の毎日だった。
起床ラッパが鳴って起床の声で起こされ、軍服を着て兵舎の前に急いで整列する。
上等兵が番号と号令すると大声で番号を叫ぶ。
週番の士官が高いところに現れると、敬礼の号令で頭を向けて敬礼する。
点呼や報告が済むと、皇居と各故郷のある方向に最敬礼をする。各故郷といっても方向が判らず適当に東西南北に向かって行う。
頼正は塩川の方向が解らず、くるくると向きを変えて敬礼した。大勢の兵員がばらばらの方を向いて行う敬礼は滑稽だった。
舟漕ぎ体操などの基本体操が終わると朝の点呼が終わる。

この後地獄のような一日が始まる。
一人前の兵隊ではない初年兵は勤務使役につかない。
初年兵は朝食前に、上等兵の号令で船舶手入れ当番は係留地へ、馬手入れ当番は馬屋へ、舎内当番は舎内の清掃、下士官室当番は下士官室の清掃、砲手入れ当番は砲手入れ、とにかく忙しい。

何も用事のない古参兵は、初年兵の行動に文句をつけるところがないか、監視している。
兵舎内の当番は古参兵の意地悪な目があるでの緊張する。

ある日、頼正たち舎内清掃当番の初年兵数名が掃除中に大声が聞こえた。

『山岡。』

古参兵の一人に呼ばれた頼正は返事をして、古参兵の前に不動の姿勢で立った。

『はい、山岡頼正。』

直後に無言でビンタがとんでくる。
なぐられて姿勢が崩れると、すぐ不動の姿勢に戻どす。
頼正は舎内の掃除の何が悪かったのか、解らなかった。

まず、納得のゆく説明などない。
逆らったり、反撃すると営倉(懲罰房)行きになる。ほとんどの初年兵はひたすら我慢した。

古参兵は初年兵に酷い怪我をさせてしまうと、自分も営倉行きになるので、初年兵には手のひらを使い、重い怪我のないように暴力をふるっていたのだ。

頼正は古参兵の精神的なストレスのはけ口にされたのかもしれないと思った。
古参兵のあり余る体カで、いつ終わるか解らないほどのビンタが続いた。頼正は鼻血と口内出血で顔中血だらけとなった。


部隊では輸送船から舟を降ろして、浅瀬に向けて上陸する訓練を行っていた。
舟の呼び名は立派だが、上陸用舟艇は小さな漁船を徴用し、改造した木造船だった。

山育ちで海が初めての頼正は、上官から虐めの洗礼を受けていた。
舟に慣れない頼正たち初年兵に対して上等兵が言った。

『なんだ貴様らは、たるんどる!』

上等兵は怒鳴りながら、頼正たちを海に突き落とした。
何度も何度も突き落とされた。

頼正は泳げないと命を落とす事になるので、知らず知らずのうちに泳ぎが上達していった。

夜の点呼の時には、兵士たちに気合いを入れる為なのか大声で言った。

『足を踏ん張って歯を食いしばれ。』

頼正たちは身構えていると次々に殴られた。
上等兵は素手では痛いので、ベルトなどの物を使うことが多かった。
意味の無い暴力だった。

戦況は最悪の状態になっているのに、大事な兵隊に制裁を与えて何の意味があるのか。

日本軍には気合いと呼ぶには馬鹿らしいが、ある意味気合いしか残って無かったのかもしれない。


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