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女神さまの焦燥

#11「女帝の日曜日」

ガブリエル・シャネルは日曜日が嫌いでした。なぜならお店が休みで仕事ができないからです。彼女は死の当日でさえ友人にこう言い残していました。「明日私に会いたかったらお店に来てちょうだい。仕事をしているから」と。八十七歳の日曜日でした。

彼女は、コルセットで締め付けられ、巨大な鳥の巣のような帽子をかぶった当時の女性たちを「哀れな女たち」と蔑み、すべてを開放しました。船乗りや漁師の作業着であったパンタロンやマリエール、すべての無駄をそぎ落としたリトル・ブラック・ドレス、ツイードやジャージー生地のスーツ、髪をショートカットし、日焼けした彼女を見て世界中の女性が日光浴を始めました。グレタ・ガルボやマレーネ・ディートリッヒが顧客となり、世界がそのデザインに夢中になりました。

マレーネ1

天才が大好きで、その原石を見出す鋭い才能を持っていました。セルゲイ・ディアギレフを援助し、彼のバレー団のダンサー、アンナ・パブロワやヴァーツラフ・ニジンスキーの伝説の幕を上げ、パブロ・ピカソと舞台の仕事をし、アヘン中毒のジャン・コクトーの面倒を見、レイモン・ラディゲの葬式を準備し、イゴール・ストラヴィンスキー一家の生活を何年も支えました。ジャンヌ・モローやカトリーヌ・ドヌーヴ、エリザベス・テイラーなども次々に顧客となり、ルキノ・ヴィスコンティーの成功の扉を開き、マリリン・モンローの例の発言はいまだに語り草であります。

マリリン1

七十歳でカムバックを決意し、パリでの酷評「シャネル時代の終焉」の直後、アメリカでその人気は爆発し、新たな伝説を成し遂げます。たくさんの富豪や貴族に愛され、その妻となる道を選ばず、不遇の少女時代からの夢であった本物の自由を手にするのであります。彼女の生涯を語ろうとするなら、映画を少なくともあと10本制作、書物をあと100冊出版しなければなりません。

彼女の仕事に対するあまりにも厳しい姿勢は、多くのスタッフやモデルたちを泣かせました。けれど誰も彼女を憎むことはできません。彼女のひたむきに働く姿が、あまりにも美しかったからであります。

ココ2

今日のあなたのデートは最高に気合が入っています。この日のために奮発して買ったプリーツ・ワンピース、イミテーション・ジュエリー、チェーン・ストラップのショルダー・バッグ、バッグの中にはリップ・スティックとコンパクト、念のために香水…

お分かりですか?すべて伝説の芸術家の生み出した美の革命であります。その女帝の名は、ガブリエル・ココ・シャネル。

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