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辰 八月納涼歌舞伎『ゆうれい貸屋』『鵜の殿様』『紅翫』

<白梅の芝居見物記>

ゆうれい貸家

 第一部の上演。山本周五郎原作。芝居としては「人情喜劇」になるのでしょうが。
 例えば、本年5月歌舞伎町大歌舞伎で上演された『福叶神恋噺』のように歌舞伎初心者にも受入れられやすい軽いタッチの作品を楽しんだ者にとっては、残念ながら消化不良を起こしてしまいそうな作品であるのは否めないかと思います。

 役者の味わいだけで見せるにしてもやはりまだ、坂東巳之助丈、中村児太郎丈には荷が重すぎる作品のようにも思われました。
 辛うじて中村勘九郎丈演じる屑屋の幽霊又蔵がいい味わいを出していて面白く拝見しました。『福叶‥』の貧乏神すかんぴんでもそうでしたが、勘九郎丈はこうした人情喜劇において庶民的な素朴さと温かさ、独特の面白さを出せる希有の役者さんであるかと再認識させられました。

 ただ、勘九郎丈がひときは光って見えたのは、又蔵の台詞の中に見る者の心に残る作者の思いがよく描き出されていることも大きな要因の一つではないかと、私には思われます。
 『ゆうれい貸屋』は昭和25年「風々亭一迷」の筆名で発表された作品です。もともと原作である山本周五郎の短編小説において、桶職弥六と芸者の幽霊染次の人物像が深い構想のもとに描き込まれているとは言い難く、それが舞台にも反映してしまっているように、私には感じられます。

 この作品において原作者が描きたかったものは、無気力な弥六や恨みを晴らすことしか出来なかった染次よりも、むしろ現実世界をしぶとく生きている人間に対してなすすべを持たない幽霊、恨みを抱えながら成仏も出来ず浮遊しているしかない幽霊の姿であったのかもしれません。
 この作品を考えるにあたり、本作が世に出た時代の状況を考えてみる必要はあるでしょう。
 太平洋戦争後、敗戦からの復興を目指し生きていくことさえ困難な状況から這い上がっていこうとしている、現実社会を生き抜こうとしている日本社会の姿を想起すべきように思われます。

 世の中自体に大きなゆがみを抱え社会全体がその狭間で苦難を強いられていた時代。
 それでも、誰か他者を、時代状況を、世の中自体のありようを恨んだりするよりも、または、現世を諦め来世に救いを求めるよりも、現実社会を生き抜こう、強く生きようとする名もない人々の姿に、むしろ作者は復興の力を信じているように私には感じられます。

 「恨み」や「憎しみ」のエネルギーよりその「恨み」や「憎しみ」を超越して生き抜かんとした日本人にとって、戦後、『般若心経』というのは、時代的にもなくてはならない心のよりどころであったのではないかと、今更ながら考えさせられました。
 そして「恨み」や「憎しみ」を超越する精神があったからこそ、日本社会は力強く復興していくことが出来たのではないかと、私には思われます。

 話を戻しますが、もともとの原作において、弥六や染次の人物像やその葛藤がしっかりと描き込まれている作品とは言えないでしょう。
 最初からしっかりとした構想をもって描き込まれているわけではない人物を舞台化するのですから、その人物を描いて行くにはよほどの演劇的肉付けが必要になってくることは否めません。
 ただ、今回拝見していて、この二人の人物を演劇的に昇華していくことは難しいかと言えばそうとも言えない可能性を感じます。今という時代状況の中においても普遍的テーマを有した作品として育てていける作品であるように、私には思われます。

 現在進行形の今の社会を眺めたとき、我が国だけではなく隣の大国を見ても、多くの若者が無力感に苛まれ前向きに生きる活力を失っている時代であるように、私には思われます。
 また、現代社会において、一つの思想的な信念を貫き通すだけでは社会の問題は解決し難いことを、私たちはうすうす感じてもいるでしょう。
 名もない人々のちっぽけな無気力。名もない人々の小さな嫉妬。名もない人々のちっぽけな恨み、不満‥。
 ただ無数のちっぽけな個人もそれが集団と化せば、社会は無気力や嫉妬、他者への恨みで溢れかえります。小さな不満は大きな暴力のウネリとなって人の心を、社会を、破壊します。

 そんな厳しい現実の世の中にあって、若者はその無気力からいかに立ち上がっていくのか。
 弥六は傍目には怠け者というくくりで表現されますが、現代的な解釈からすれば「無気力」に支配されてしまっている人物のように私には見えます。その無気力の原因はどこから来ているのか。それを超越するにはどうしたらいいのか。
 弥六女房お兼や家主平作のように人間愛に根ざした他者に対しても状況に対しても諦めない心や思い。
 また、恨みを晴らすことでは満たされることがない愛情と嫉妬や恨みから解き放され成仏することで獲得できる心の平安。それが染次に芽生えることはないのか‥。
 こう考えた時、それぞれの人物が舞台に息づきさらに演劇として肉付けがされていけば、非常にいい作品になっていく可能性がある作品であると、私には感じられます。

 若い役者の今後の取り組みに大いに期待したく思います。

 鵜の殿様

 狂言仕立てながら、夏芝居に涼を感じる鵜飼いを題材にした舞踊劇。
 松本幸四郎丈が市川染五郎丈を相手に楽しそうに演じていらっしゃるのが印象的な舞台でした。
 染五郎丈は、鵜飼いの紐につながれている様を軽妙に身体をはって見せ、初めて歌舞伎を見た方にも、目に見えない紐の存在が明確にわかるような身体表現の妙を、しっかり伝えられていたのではないかと思います。そうした意味で、まだ青さを残す味わいながら新しい感覚の歌舞伎舞踊となっており、面白く拝見することが出来ました。
 ともすればおふざけだけに終わりそうな一幕ですが、さすが幸四郎丈の存在感の手堅さと、市川高麗蔵丈、澤村宗之助丈の歌舞伎役者ならではの安定感あるしっかりとした舞踊で見せており、歌舞伎座の舞台に恥じない品格を保つのに大いに貢献していたと思います。
 欲を言えば、本来”狂言”にあったはずの、社会や人間に対するシニカルな視点が作品の土台にしっかりあればよかったのですが。
 使われる者の「日頃の憂さ晴らし」というだけの視点は、当世風と言えば当世風ですが、もう一歩作品としての厚みのある構成をもっていたらと残念な面もありというのが、正直なところです。

 紅翫(ベニカン) 艶紅曙接拙(イモモミジツギキノフツツカ)

 幕末、紅勘という江戸市中を歩いて回る大道芸人がおり、その紅勘が元治元年(1964)守田座の大芝居でとりあげられました。四代目中村芝翫が演じたため、歌舞伎では紅翫と呼ばれます。
 先祖の初演した演目を現中村芝翫丈の長男である中村橋之助丈が演じているのですが、ベテラン俳優の味わい深い芸で見せるような舞踊であり、意欲的な取り組みとは言えるのですが‥
 せっかくの歌舞伎座の大舞台に九人もの若手花形を出演させるのですから、他にいい作品や試みはなかったものかと、観客としては大変残念に思われるところです。
 巳之助丈、児太郎丈にとっては付き合い程度の中で、中村歌之助丈の大工が江戸前の粋なところを見せていたのは印象的でした。染五郎丈も町娘の役で女形にも積極的に取り組んでいる姿に成長を感じさせます。ただ、福之助丈、勘太郎丈は花道からの登場の機会を与えられているものの、七三での役者ぶりに成長を見せるには、まだかなりの距離があるように思われてしまいました。今後の研鑽に期待します。
                     2024.8.9

 


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