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辰 夏芝居『裏表太閤記』<千成瓢薫風聚光>

<白梅の芝居見物記>

 新作歌舞伎の太閤記

 昭和56年(1981)4月明治座において初演された『千成瓢猿顔見勢(センナリヒサゴマクラノカオミセ)』を元にした作品です。
 初演時は第一部四幕八場、第二部四幕八場とまる一日をかけた通し狂言として上演されました。今回は三幕十二場、夜の部半日に収めての上演です。
 明治座の初演時の筋書きに初田洋氏が「大徳寺焼香の場」を除いては、最近上演されていない場を復活したとし、近松門左衛門の『本朝三国志』、近松柳の『絵本大功記』、奈河七五三助『旧礎花大樹(メイショズエハナノコノシタ)』、近松半二『三日太平記』を参考にしたと説明しています。

 今回は”古典作品の復活”と銘打っていませんし、そこは”夏芝居”ですから‥。
 浄瑠璃及び歌舞伎の”古典作品”とするには大きな問題があります、と今回は指摘しておくに留めて、作品自体に関しては深追いはしません。

 ただ、作品としては夏芝居らしい娯楽本位に作られてはいますが、一方で役者さんお一人お一人にとって挑戦しがいがある芝居の構成になっている点は、評価できるように思います。
 重厚な古典作品に挑む前段階としての腕や工夫が求められる芝居になっているのではないでしょうか。役者さんの勉強の場として、今月の役への取り組みによってどこまで成長できるかは、演じる個々の役者さんの意識によって大きな差が出てくるようにも思われます。 

 役名変更への疑問

 ”太閤記”物としての古典性の問題に関しては今回深入りしませんが、一点、役名を史実に即したものに書替えてしまったことだけは、古典性を考える以前に、一般的観客の視点から言っても失敗だったように思われるので、言及しておきたいと思います。

 太閤記物の役名も江戸時代から作品によっては、実名で描かれる物も確かにあったのですが、多くは史実とは違う役名で描かれています。
 それを、今の人たちがわかり易いようにと今回歴史上の人物名に置き換えてしまったことによって、この作品を史劇として捉えるよう誘導しながら、史劇として見た場合、「突っ込みどころ」を却って広げる結果となってしまったことは、否めないように思われます。

 役名を歴史上の人物にすると、大河ドラマに対して噴出する批判のように、少しでも歴史に詳しい人たちにとっては、受入れがたい内容となってしまいかねません。また、今は教養として”古典芸能”を見る方も増えているのですから、史実にはない出来事をいかにも歴史の中であったことのように記憶に残してしまっては、本末転倒とも言えます。

 作る側にとっては、そこは”芝居”なのだからという意識でなんでも許されるように思われがちだと思います。また、”演劇”は史実を再現することだけを目的にしていないのだから‥、と思われるかもしれません。
 ただ、今のようにSNSなどで、多くの歴史好事家が意見を言える環境にあっては、むしろ最初から、これは「狂言」ですというスタンスで見てもらった方が、却って観客にとってもいいように思われます。

 ”演劇”にとって大切なのは、その作品によって何を考えさせたいのか、何を感じてもらいたいのか、何を楽しんでもらいたいかということだと思います。
 人名を変更するより、何を受け取り、何を感じてもらいたいのか、という原点に立ち返り、作品を語れるようになる方が大切なように感じます。 

 出演者さんへの期待

 初演時、三代目市川猿之助丈は、序幕の解説・藤吉・光秀・お通・孫市・久吉・孫悟空、七役の大奮闘でした。
 それを今回、松本幸四郎丈を座頭に、それぞれ活躍の場を与えられていますので、今後の期待を込めて、見物した感想を書いて見たいと思います。

 序幕、信貴山弾正館の場。
 松永弾正の市川中車丈は、随分舞台に大きさが出てきているかと思いますが、熱演を超えた芸の工夫が必要になってきていることを痛感します。私は若かりし頃、先代の市川團十郎丈が荒事を演じるにあたり、肩や腕や手に力を入れていては却って”力”感や大きさが出ないということを何かの講座で話しているのを聞いた覚えがあります。
 今の中車丈の演技は余りにも力み過ぎていてそれゆえ役の大きさが却って出てこないように思われます。力が入っているのは”丹田”だけでいいのだと思います。舞踊や義太夫や謡の稽古などは、すべてこの”丹田”を中心とした力を養うことで生まれてくる芸の習得につながるから大切なのであり、日本の芸能のみならず、武道などにおいても、一番の肝となるところだと私は思います。それがまだ習得出来ていないのが一番の原因のように私には思われます。

 序幕、本能寺の場。
 鶴屋南北『時今也桔梗旗揚』の馬盥の場を取り入れています。
 尾上松也丈の光秀は、先月『四谷怪談』の伊右衛門をつとめてきたからか南北の光秀としては悪くはないのでしょうが‥。例えば中村吉右衛門丈演じる『太十』の光秀の大きさや肚を兼ね備えた南北の光秀が記憶にある者にとっては、物足りなさが残ってしまうことは否めません。単なる敵役ではない時代物的なスケール感を求めたくなってしまいます。
 坂東彦三郎丈の信長は、口跡のよさが光りますが甲と乙を巧みに使いわける台詞回しの技術を習得されさらに昇華していかれたら、存在感がさらに増すように思われます。また、世話物では舞台が大きいのですが、こうした役では立ち姿や立回りにもっと大きさが出てきて欲しく思います。上背がある分重心が高く、下半身のどっしり感がうすいからかもしれません。

 序幕、愛宕山の場。
 坂東巳之助丈の信忠は、柔らかみや品位はあるのですが、さして為所があるわけではなく役者その人の魅力で見せる役のためか、少し物足りなさが残ります。芝居のうまさだけでは存在感を出せない役どころ。飄々として出過ぎないところが舞踊では強みになることもあるけれど‥。こうした役では劇場全体が皆自分に注目していて然るべきといったオーラが出てくるようになればと今後に期待です。
 尾上右近丈のお通。教えて下さる方に実力があればそれを再現する能力は図抜けているかと思います。ただ、先例がなくご自分で役を作りだしていく工夫となると、どうでしょうか。こうした役どころで日々進化していく工夫が出てこないと、役者としての進化が止まってしまうように私には思われます。

 二幕目、備中高松塞の場。
 人形浄瑠璃の『絵本太功記』「太十」を反転させたような内容の場面。
 光秀がここで描かれている鈴木重成のようにしていれば、光秀の子孫は栄えたであろうに‥。といった「太十」の「裏」に対して同じような状況下におけるあるべき姿の「表」を描こうという意図が、作者にあったのか、なかったのかはわかりませんが‥。そのように私には感じられる場面でした。
 幸四郎丈、市川笑也丈、市川笑三郎丈に対して、「太十」を見せられる役者になるにはもう一歩ですが研鑽を望みます、といった場面になっているようにも、私には感じられました。
 そんな発展途上的芝居ではありましたが、市川染五郎丈の孫市のまだ青い一生懸命な芝居が加わることにより新鮮な面白さが感じられ、ともすればベタな場面になりがちな内容ながら飽きずにみることが出来ました。
 寿猿丈をとりまいてのチャリ場を面白く拝見することが出来たことも一言付け加えておきます。

  二幕目、第二場から六場は、スペクタクル重視の場面が続きます。『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』の走水の場を思わせる場があり、松本白鸚丈の大綿津見神まで登場。高麗屋三代が同じ場面に揃ってファンを喜ばせてくださいました。
 海の神に対して日吉大社にまつられるのは大山咋神であり、山の神は猿を使いとします。
 本作に海と山、両方神神を取入れることになったのはたまたまかもしれませんが、上古史を考察する者としては興味深く拝見することが出来ました。

 大詰、天界紫微垣の場。
 光秀を討つべく帰洛の途にある久吉が吉夢として見る夢物語として、初演時に挿入された浄瑠璃の場面です。今回、初演時の演出がどこまで再現されているかはわかりませんが。
 この場面は、とにかく幸四郎丈が「喜劇役者」的味わいを出していて、私はとても面白く拝見しました。
 孫悟空を登場させたのは、猿之助の「猿」、久吉の「猿面冠者」の「猿」と合わせて、澤瀉屋の紋である「三つ猿」にかけた発想から生まれた趣向とされます。
 こうした趣向が生まれたのはたまたまかもしれませんが、『西遊記』は日本の歴史に深く関わっていると私は考えているので、今後歌舞伎が上古史の世界をもっと扱うようになれば、面白い趣向になっていくように私には思えます。

 大詰、大坂城大広間の場。
 中村雀右衛門丈の北政所が美しさ存在感の大きさとも申し分がなく、市川高麗蔵丈の淀殿、中車丈の家康(なぜ千歳の扮装をさせているかわかりませんが)ともども、大歌舞伎ならではの祝祭空間を作り出しました。
 その後、幸四郎丈、松也丈、巳之助丈、尾上右近丈、染五郎丈による、五人三番叟となります。五人が華と踊りの面白さを競うのですから、観客を魅了せずにはおかないでしょう。
 ただ、若干歌舞伎ショー的なきらいがあるのが気になります。
 三番叟は、この日の本に福を芽吹かせるために国土に幸せの種を播いていく存在です。欲を言えば、お一人お一人が、見物の目を集める事だけに拘泥せず、祝祭性を大切にする精神を持って踊っていただくことも大切なように、私には感じられました。
                      2024.7.10


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