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辰 團菊祭五月大歌舞伎 『鴛鴦襖恋睦』『毛抜』 

 <白梅の芝居見物記>

 鴛鴦襖恋睦

 この作品は私にとっては馴染みがほとんどなく、過去の見物の記憶さえ残っていません。初めて出逢iったようにさえ思われてしまうような舞踊劇というのが正直なところです。
 上演頻度に比べて、私自身が見る機会を逸していたからということもあるかもしれません。六世中村歌右衛門丈の舞台は見ていないですし、印象に残るだけの感動を得る舞踊劇として記憶に残るものが正直なかったと言えるかもしれません。
 今回の見物の後でも消化不良をおこし、渡辺保氏の評を拝読したのですが、氏が書かれていることの意味さえ当初は理解できませんした。

 若手三人がそれも團菊祭で一時間余りの舞踊劇を手がけており、彼らなりに奮闘はしているのですが‥。この舞踊劇の面白さがどこにあるのかが私にはわからなかったため、どう考えていいのか糸口さえつかめずに頭を抱えてしまいました。
 そんな中この舞踊劇への理解のきっかけを作ってくれたのは、立命館大学のArtWikiにおけるこの作品を題材とした浮世絵の解説です【Z0677-085「小倉擬百人一首 第85番 俊恵法師」】
 はずさずに、糸口をつかめていればいいのですが‥。

 近年の上演形態を調べ直してはいないので今回のみの上演を前提として考えてみます。この舞踊劇の解釈が混乱しているように感じられる最も大きな要因は、俣野五郎の取扱いによるのではないかと私には思えます。
 尾上松也丈の河津・鴛、尾上右近丈の喜瀬川・鴦に対して、例えば中村又五郎丈や尾上松緑丈が俣野を演じていれば、この作品本来の面白さが出たかもしれません。
 今回の俣野は、現在上演されている『石切梶原』における俣野の役どころの延長線上のような役柄としてとらえているであろう上に、二人と同世代の中村萬太郎丈が演じているために、この作品本来の面白さが出なかったのではないかと私には感じられます。

 相撲により勝敗を争う場面では古風さが求められるようですが、おそらく例えば『積恋雪関扉』における黒主と宗貞が相撲で勝敗を決めるような、そんな趣がこの作品には必要なのかもしれません。
 『鞘当』の不破と山三の争いのような古風な味わいが求められ、本来はベテランでないとなかなか味わいが出て来ない、難しい作品のように思われます。

 先に紹介した浮世絵は江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である歌川国芳の画で、俣野と雌のオシドリの霊が描かれています。雌雄のオシドリが描かれているのではない上、この画には雄のオシドリの霊は描かれていません。そして、俣野は大前髪の蘭丸のような端敵のともいえる役柄としては描かれていないのです。茶砥の粉ですが生締めという役どころです。
 〽夜もすがら物おもふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり」
 この画に取りあげられている百人一首の俊恵法師の歌は、訪ねて来てくれない恋しい人を思う女性の心情を詠んでいると一般的には解釈されています。ただこの浮世絵では、おそらく俣野の気持ちとしてこの歌を取りあげているのではないかと私には思えます。

 『鴛鴦襖恋睦』という舞踊劇の中心人物は、実際には俣野でないと前半と後半が結びつかないのだと思います。
 後半も例えば『教草吉原雀』の鳥刺しのように最後に舞台をもっていってしまうくらいの存在感が必要な役どころであるように思われます。それが舞台に表れてこないと捉えどころのない作品になってしまうように思われます。

 「相撲」は、記紀に描かれる記述からも国取りに結びつけられるものであり、だからこそ「神事」の扱いをうけていると私は考えます。
 この作品が中世から近世にかけての天下統一の過程を暗示していることは間違いないと、詳しい説明は省略しますが、他の要素からも言えるだろうと私は考えます。
 前半部分における河津と俣野の相撲の場は、国取りをあらそっていることを暗示していると考えるべきであり、前半部で喜瀬川は単に恋に溺れている遊女であってはならず、河津贔屓を露骨に表すことは本来あり得ない役どころだろうと思います。

 喜瀬川は、『鞘当』の留女のように本来は公平に両者の間に立つような立場を貫かなければならない人物であると考えるべきでしょう。
 そのため、前半と後半で「時代」と「世話」のように「公」と「私」が演じ分けられなければならず、同一でありながら同一でないといった、役どころの変化、異なった役の性根として捉えられるように設定されていると解釈する必要があるのだと思います。
 そうした点で右近丈の喜瀬川は、今回かなり逸脱した解釈のもとで上演されていたと考えられるのだと思います。歌舞伎として見た場合、前半部分が古風どころか、歌舞伎舞踊に今までもったことのないような違和感を私がもったのはそこが原因があるように思われます。
 同じ遊女という設定でも「間夫がなければ女郎は闇‥」といった、遊女として捉えてはいけない役どころのように思われます。

 右近丈は、松也丈と同じように美しく押出しのいいところが魅力だと思います。
 立役では、その押出しの良さが大きな魅力に直結します。
 ただ、女方の場合は、「女装の尾上右近」丈を歌舞伎で見たいわけではないので(そうしたファンがいてもそれを否定するものではありませんが)、女方の魅力をどこに求めるのか、ご自分の中で描こうとする理想の女性像はどこにあるのか、どんな女性を演じていきたいと思っているのか、ご自分自身でしっかりと客観視し描き出していくことが必要になってくるように思われます。
 女方は殊に作っていかなければならない部分が大きいでしょうから、これからはよりそうした視点が重要になってくるように思われます。

 今回前半部の喜瀬川より後半部の鴦の精の方が私としては魅力的に感じられました。役の性根をグッと内にため一歩引いたような弱さも見せる人物像に今までの右近丈に見ることのなかった魅力がありました。しっとりとして清潔感がある上に内に芯の強さを感じたからでしょうか。

 松也丈に対する期待も、実は右近丈に求めているものと大きくは変わりません。立役の方が、自分自身の魅力で押し切ってしまうところが大きいので、人物を「作り」にいかない分、役者としての大成が女方より若干遅れるように思われますが。
 松也丈も押出しがあって美しくそうしたことに自信をもって舞台に立つことが、なにより重要であるように思います。その上で、どんな人物を演じたいかということも大切でしょうが、どんな役柄であれどんな芝居であっても、どこがその役の魅力なのか、どうしたらもっとその役として魅力あるものにできるのか。そうした日々の研鑽の積み重ねが役者として大成していく王道のように、私には思われます。
 
 こうしたことは、今の若い役者さんすべてに言えることではありますが。 

 毛抜

 四世市川左團次一年祭追善狂言として、子息の市川男女蔵丈が粂寺弾正を、孫の市川男寅丈が錦の前をつとめられました。
 まわりを大先輩や若手で豪華にかためた、菊五郎劇団らしい華やかな大芝居であり、とても楽しませて頂きました。

 「毛抜』は江戸時代の天保期(1830~44)に、市川家の家の芸である歌舞伎十八番として七代目市川團十郎によって定められた狂言ですが、長らく上演が途絶えていたのを、明治42年(1909)二代目市川左團次が復活上演したものが今日伝わっています。
 内容的には単純な芝居ながら、元禄期の歌舞伎芝居のおおどかさを感じさせるものであり、同じく二代目左團次が復活した『鳴神』とともに今日でも人気狂言として度々上演さが繰り返されています。

 男女蔵丈の弾正は、端敵のようなところが少だけ感じられるところがあったのは残念ですが、おおむね無難にこなされていらっしゃり、楽しい舞台をくりひろげていらっしゃいました。生締め物でも敵役でもさらに役者として存在感のある大きな舞台を目指していかれることを願います。
 男寅丈はかわいらしい女方が似合う仁ですが、舞踊などもきちんとした稽古のあとが印象的で、今後ますます精進して先祖に負けない立派な役者を目指していって頂きたいと思います。
                    2024.5.24 

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