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遙かなる時空の中で舞一夜をみた!!

自分のためにまとめたのか誰かに進めるために書いたのかよく分からない文章だけど、せっかくなので上げてみる。


 乙女ゲーム「遙かなる時空の中で」のアニメ映画、遙かなる時空の中で舞一夜の感想。
 まず超大まかにゲーム版のあらすじを説明する。主人公は元宮あかねという至って普通の高校生。ある日、平安時代によく似た異世界にとばされてしまう。そして、京を救う「龍神の神子」という存在だと言われるのだ。荒れ果てた京を救うため、神子を守る「八葉」と呼ばれる八人の男と共に、金髪碧眼の「鬼の一族」やら「怨霊」やらと戦っていく、というストーリーだ。
 アニメやゲームでは八葉とあかねの関わりや、八葉同士の関係性の変化などが描かれる。また、敵である鬼が迫害されていたことなど鬼との関係なども描写される。
 
 しかし、「舞一夜」では少し違う。八葉が怨霊と戦う中、あかねは何も出来ず守られている。そして、仲間が傷ついているのに何も出来ずにいる自分に悩む。
 
 ある時あかねは、神子には怨霊を「浄化」する力があると知った。子供たちを攫う怨霊が居ると聞き、浄化しようと試みた。
 怨霊を浄化しようとした時、その怨霊の恨みや悲しみがあかねに流れ込んでくる。ひとりぼっちの子供の姿をした怨霊を、あかねは浄化することが出来なかった。
 
 一層悩むあかねの前に、一人の男があらわれる。その男は記憶がないのだと言った。そしてあかねのことを尋ねなかった。彼は自分のことを「迷い子のよう」と言った。「迷っても二人なら大丈夫だ」とも。自分を神子として扱わない男に、あかねは惹かれていく。
 
 視聴者にはすぐに分かることだが、この男こと多季史は怨霊である。有名な舞手であり、呪詛によって十年前に亡くなっていた。先程視聴者にはすぐ分かると書いたが、あかねは終盤までそれを知らないままなのだ。私はそれがいっそう辛く感じた。
 
 あかねが屋敷を歩くシーンがある。塀にもたれ掛かりながらゆっくり歩く。分厚い塀を隔てて、季史が道を歩いているのだ。二人が歩く方向が逆なのが、二人の行く末を示しているようで、何もセリフのないシーンなのにとてと悲しかった。
 
 時は流れ、あかねが季史の名前と怨霊であることを知る。その時、あかねは舞殿を呪う怨霊を浄化するべく、禊に入っていた。一人部屋に籠るあかねに、八葉の一人、永泉が告げるのだ。舞殿を呪う怨霊は多季史という舞手であり、神子が会っていた者だと。
 
 あかねは勿論ショックを受ける。涙を流し、ふらふらと倒れ込む。彼女は叫んだ。「どうして私が白龍の神子なの!? 」
 あかねは龍神の神子であることに悩んでいた。しかし季史に出会い、京の町を見て考えが変わる。仲間が、大切な人が暮らす京を守りたい。そう思って舞殿に巣食う怨霊を浄化しようと、たとえ傷ついても神子のしか出来ない事をしようと決意したのだ。
 あの人は龍神の神子でなく一人の人間として扱ってくれた。泣きながらそう零す彼女に、伝えにきた永泉も苦しむ。そして、「神子」と呼んでしまう。
 私はこのシーンが凄く好きだ。永泉に限らず京に住む人々は、龍神の神子を尊ぶ。だからこそあかねは傷ついていたのだ。永泉は、はっとした顔をしてから「あかね、殿……」と呼ぶ。言いようのない悲しさがあった。
 かなり色々あってあかねは季史を浄化するとにする。そして、季史の悲しみを知る。
 母の手を離れ、多家に預けられた幼い季史。母親に頭を撫でられる兄弟たちを見ながら、彼はたった一人だった。ひとり舞の練習を繰り返し、ついに都一とも言われるようになる。しかし、兄弟たちに呪われて彼は死んでしまった。
 季史もずっと一人だったのだ。「優しい声で誰かに名前を呼んで欲しかった」と彼は言った。悩み迷っていた二人は、自分を見てほしいという同じ悩みを持っていたのだ。
 そして、季史は最後にあかねに舞を見てほしいと言う。穢れた身では嫌だから、浄化して欲しいと。そして彼は言うのである。「そなたが龍神の神子で良かった」と。
 
 もう言葉は必要ないと思う。遙かなる時空の中で 舞一夜は最高の映画だ。遙かなる時空の中でのキャラクターや世界観を知らないと分かりにくいので、人に進めにくくはあるが最高の作品なのだ。あかねと季史が雨の日にだけ会うのだが、雨の日の薄暗い雰囲気もとてもよく合っている。雰囲気も声も演出も絵も主題歌もいい、最高の映画だ。
 舞一夜で多く描写されていた天真くんについても、いつかまとめたい。

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