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やっぱり上には上がいた

「あいつらは怪物。次元が違う」

スポーツ、あるいは勉強など、競争の世界でそこそこいいところまでいった人間が使いがちなワードだ。

曰く、元々持った能力が桁外れだ、持って生まれた才能が特別だ、成功する星の下に生まれている・・・

一流のプレーヤーを指して、彼らはそう評する。世の中にはどれだけ頑張っても届かない存在がいるのだと。

包み隠さず言えば、私は現役時代、誰かを見て「こいつには絶対敵わないな」と思ったことはない。もちろん、見てる世界が狭かったし、若くて未熟だったというのもあるのだけど、今振り返っても心の底から絶対に負けたなと思った人はいない、と本音では思っている。

でも、この考えを他人に言うのは恥ずかしいと思っていた。だって、どこからどう聞いても、ただの負け惜しみだから。

「こいつ、失敗したくせにまだプライドあんのかよ?結果だめだったんだから認めろよ。失敗したんだろ」

口に出さないまでも、絶対こんなことを思われそうだ。

だから人に言うときは、なんとなく当たり障りのないことを言ってお茶を濁していた。元プロサッカー選手だということがわかると、「やっぱりプロの中でも代表で活躍するようなトップはレベルが違うよね?」という質問がよく来るので、自分なりの鉄板の答えもいつしか作り上げた。

「いや、全然違いますよ。彼らは天才中の天才。モノが違いますよ。やっぱり上には上がいますねー」

こういった感じで、全てを悟ったかのような回答をしていた。そうすると「やっぱりそうなのかあ」と、聞いた側も自分の欲しかった答えが来たような顔になり100%納得してくれた。

しかし、私は思う・・・

しかし、今になって思う。それはあまりに彼ら”天才”たちに対して失礼なのではないか?

彼らは全員、輝かしい才能を持っていただけであの舞台に立てるのか?

選ばれた人間だから、あそこまで登りつめたのだろうか?

特別な星の下に生まれているから、誰かがトップまで運んでいってくれたのか?

答えはおそらく、違う。

彼らはダイヤモンドのような光り輝く才能を持ちながらも、その裏で驚異的な努力をしたからあれだけの結果を成し遂げているはずだ。

ビジネスの世界に足を踏み入れてから顕著にわかるが、ここでは努力量が如実にものを言う。そしておそらく、勝負の世界はどこも共通なのだろう。

多くの”その他大勢”が人並みの努力しかしない中、血ヘドを吐きながら毎日にこだわり続けたやつだけが上にいけるのだ。

彼ら”天才”は、一握りの才を持った上で、誰よりも自分の人生をシビアに見つめ、努力を投下し続けられているからこそ、あの場に立っているのだ。

けして、モノが違うとか、生まれた星とか、そういう安っぽい説明に逃げてはいけないんだ。

つまり、言い換えると、私がサッカーで大成しなかった理由はいたってシンプルで単に「努力不足」だったのである。

もちろん、辛さ、苦しさは人一倍経験した。しかし、きちんとベクトルの合った、将来に向けた努力は全然足りなかった。ここは素直に反省点だ。

人生が素晴らしいのは、挽回のチャンスが用意されていることだ。あの時の反省を別の分野で活かすことができる。人生を賭けて望んだ夢。そこで得た経験と反省を、別のフィールドに持っていくことができるのは、アスリートの大きなアドバンテージだ。

抜きん出よう。スポーツ界から離れても、いや、離れたからこそ、他人を寄せ付けない圧倒的な努力量で今度こそ欲しかったものを手に入れよう。幸い、アスリートにはそれを可能にする土壌ができている。

「やっぱり上には上がいた」で人生を終わらせないように。

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