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いつも”標的”にされてしまう人の特徴

あなたにも身に覚えがあるだろう。
学校、職場、バイト先、家庭、ありとあらゆる組織において、いつも”標的”とされてしまう人が存在する。

”標的”というのは、良い言い方をすれば”怒られ役”とも言われ、組織で行動する際によく目を付けられたり、理不尽に怒られたり、その結果として他人から低い評価を受けたりする”ターゲット”となってしまうことだ。まぁ要するにいつも損している人のことである。

一度”標的”になってしまうと、ほぼその序列は覆ることはない。尊厳を踏みにじられ、軽んじられ、舐められる。

サッカーで言うと、失敗すると倍怒られ、成功しても半分しか評価されない。ミスを自分のせいにされたり、パスが回ってこなかったり、罵声を浴びせられたりする。

最初は特定の人物だけだったのが、その輪もいつしか広がっていく。コーヒーに入れたミルクが混じり合うように、いつしかそれは全体に広がり、元に戻ることはない。

構造はいじめと同じだ。弱者を作り上げ、皆で叩く。強者はそれを共有することで仲間意識を確認し合う。

私は私生活ではそうでもないのだがサッカー選手人生においては常にこの”標的”にされ続け、まぁなんというか生きづらい気持ちを抱えていた。

サッカーを辞めたあと、会社という組織に属していた時も、サッカークラブと同じように組織の生態系があり、だいたいどのコミュニティでもこの”標的”という現象が見られた。思うにこれは、群れ(サル山)を作る人間の本能に埋め込まれているものなのだろう。

私はサッカーという「人生の本丸」で標的になってしまった。ただその経験を活かすことで、その後の社会人人生では、今のところ”標的”となることを回避して生きている。

両方経験してきた結論としては、”標的”には絶対になってはいけない、全力で回避すべき、ということだ。

人間は残酷な動物である。石器時代であれば、”標的”となった者はエサにありつけないかあるいは戦いで危険な役回りをさせられてすぐに死んでしまうだろう。

現代ではそこまではないとは言え、”標的”となった者への残忍さ、冷酷さは身を以て知っている。人間は”自分たち”と”それ以外”を区別し、”それ以外”にカテゴライズされた者に対しては容赦しないものなのだ。

読者諸氏には人間関係で損をして欲しくないため、私の経験をベースに”標的”になってしまう人の特徴をここに書くことで、それを反面教師とし”標的”となることを回避してもらいたい。

特徴①実力がない

まぁ元も子もないのだが、なんといってもこれである。サッカークラブならサッカーの実力、会社なら仕事の実力がないことが、まず何より第一の特徴というか、”標的”とされてしまう絶対条件である。

当たり前といえば当たり前なのだが、コミュニティ内の実力下位者に対して、上位者は厳しい態度をとる。

上位者は上位者であるために相応の努力をし犠牲を払っているのに対して、下位者にはそれが見れないことに苛立ちを覚えるのだ。

さらに下位者のレベルを低位に保っていてしまうと、やがて上位者のレベルを引き下げることも上位者は知っているので、なんとか下位者のレベルを少しでも引き上げるか、または排除しようとする。これが”標的”化につながるのである。

ここは小手先でどうにかなる話ではない。自分で実力を改善するしかないのだが、実力がない時点で”標的”にされる候補となってしまっていることは認識しておきたい。

特徴②年齢が低い

ここから少し理由が理不尽になってくる。実力がないことに加えて年齢が低いと、また一歩”標的”となることに近づく。

日本は儒教の文化から先輩後輩関係が明確となっている。未だに年齢が上の者が下の者より優位である慣習が根強い。スポーツ界、サッカー界でももちろんそうである。

年齢が低いことによって、文句を言われたり、指摘をされる機会が多いことが、”標的”となりやすい土壌を作っている。

ここも対策という対策はない。年を増やしたり、文化をいきなり変えたりすることはできないからだ。

特徴③言い返さない

ここからが一番伝えたいことだ。文句なり指摘なり、何か言われた時に”言い返さない”ことは悪手中の悪手である。

前述の通り、人間だって動物だ。何か行動を起こすときには、それをすることで得られるメリットと、それをすることで起こり得るデメリットを冷静に天秤にかけている。

そこまで考えていないと思うかもしれないが、これは本能レベルで埋め込まれているので、無意識下で行っていると言ってもいい。

あなただって、腰の曲がったおじいさんにポイ捨てを注意することはできても、体のごつい入れ墨の入ったニーチャンに注意するのは躊躇うだろう。

想像するからである。注意することで逆上して殴られるかもしれない。どこかに連れて行かれてボコボコにされるかもしれない。その脅威を感じるから人は行動を起こさない。

極端な例を出したが、”言い返さない”ことだって同じなのだ。先輩から何かを言われる。自分としては意図したプレーだったのにもかかわらず、先輩がすごく怒っているからとりあえず謝る。言い返さない。これが何度か続くと、先輩は学習する。

「あ、コイツは何を言っても言い返してこないな」

本当である。先輩だって言い返されて傷つきたくないのだ。言い返してこないやつを見つけて、かつそいつが実力もなく、年齢も下だったら、こんなに格好のターゲットはいない。

だってそいつは、自分のミスの責任を代わりに取ってくれるし、自分がプレーしたいようにプレーさせてくれる駒になるから。

性悪説すぎるのでは?と思うかもしれないが、これが現実だ。ある程度以上のレベルで選手経験がある人はこの感覚をわかってくれると思う。

選手は皆、自分と家族の生活をかけてサッカーをしている。チーム全員で仲良くするためにプレーしているわけではない。

自分の成績、結果に少しでも結びつくことは何でもやるのが当たり前の態度で、それは正しい(もちろん法律の範囲内であることは大前提だが)。

まして、チーム内の序列、立ち位置、キャラがどれだけプレーの質に影響を及ぼすか、経験豊富な上位者ほどその重要性を分かっているので、まず組織内での優位なポジションを取りにくる。それが死活問題であることを知っているのだ。

経験もなく実力もない若手(最近、才能があっても、心優しく、人に言い返せないプレーヤーが多いと聞く)にマウントをとることなど、彼らにとっては赤子の手をひねるようなものなのである。それもまた実力のうちだ。

ちなみに私も、言い返せないタイプだった。これによって多くの損をした。なので読者諸氏にはこれを教訓にし、私の屍を越えていってもらいたいw

特徴④味方がいない

これも③言い返さないに通じるところがあるが、チーム内に味方がいないことは上位者を攻撃に向かわせやすくなる。反撃の脅威がないからだろう。

文句を言われても言い返さない、さらにチーム内に守ってくれる人もいない、これは本当に最悪である。

丸腰で戦場に立ち、ただただ攻撃を黙って受けているだけだ。思い返しただけで胸が痛くなる。とても心身がもたない。

これには対策がある。自明だが味方を作ることだ。私は馴れ合いが好きではなく、といえば聞こえは良いが、単に人とコミュニケーションを取ることが苦手でそこを疎かにし、随分痛い目を見た。

本当にサッカーで成功したいのであれば、どんなに面倒であっても、先輩付き合いが苦手であっても、自分の身を守るために、チーム内でなるべく多くの派閥と交流し、味方を作っておくべきなのだ。

このあたりも、自分は世間知らずだったし、甘かった。ピッチ上でのパフォーマンスを上げるために、ピッチ外でできることは意外とたくさんあるのに、それを知らず、ただピッチ上だけで勝負をしていた。その結果は言うに及ばずである。

まとめ

さて、結論として、組織の中で”標的”とされてしまわないために、そもそもの実力をつけよう、ちゃんと言い返そう、味方となってくれる人を作ろう、ということをアドバイスした。

そんな政治屋みたいなことしたくない?

そう思ったあなたは、人間という動物の、”サル山”から外れた者への残虐性、暴力性をまだ知らない。

すべては、自分がサッカーで望む結果を出すためだ。戦う覚悟を持とう。チームメイトは仲間でもあるがまず第一にライバルだ。自分が上位者になった後、放っておいたら”標的”となってしまいそうな若者を救い出してあげればいい。

何かを主張したければ、強者にならねばならない。

あなたが飛び込んだのは、そういう世界なのだから・・・。

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