最近の長男とわたし

うちの長男は産まれてこのかた発語ゼロ、エコラリアや簡単な単語も出ません。指差しもとうとう今日まで一度もなし。
赤ちゃんの頃はそれなりに喃語も出ましたが…一歳半くらいでしょうか、しばらく喃語すらあまり出ない時期があり、比較的無口な子でした。ただずうっと落ち着きはなく、多動です。

ところが現在(3歳10ヶ月)、朝起きるなり奇声、奇声、奇声のオンパレードで、なかなか収まりません。朝もこれまた5時に起きるのがならいで、赤ちゃんを起こさないためにふたりで洗面所に籠ります。膝に座るとすこし落ち着いてくれることもあります。ただスイッチが入るともうだめ。

産まれて以来落ち着いていたことはないので、いったいいつからこんなことに、というと明確な時期を思い出せないのですが、とにかくここ一月くらいは少なくともこんな状況で面食らっています。
土日祝を除いて日中預け先があるのですが、帰ってくると頭痛や腹痛がひどく…昨日は立っているのがつらいほどでした。でも寝てしまえば収まります。我ながらわかりやすさと、どうしようもなさが情けないです。

障害者と暮らすこと。
街中で時折見かける彼らも、急に叫んだり走ったり、あとは電車でエコラリアしてたり…と、さまざまですが、そんな人たちがひとたび生活のなかに入るとこんなに大変だとは!生活を全介助する、時折そういった行為がある、というぬるい想像とはまったく別のものでした。

わたしは障害者というものをてんで解ってなかったな、と痛感する日々です。
知的な遅延があるということは、正直もっと、靄が掛かったような…まわりのことをよく掴めなくてボーッとしているような印象でした。(そういうタイプもいるかとは思います。)でも実際には、本能的な欲求はとても強い。加えて、わたしたちがするようにそれを理性の蓋で抑えてはくれない。ある程度の年齢になれば幼児だって、その蓋が脆かったり薄かったりはするけれど、抑えるべきところで抑えてくれると思います。ところがその訓練が困難で、日々荒れていく家にため息をつきながら暮らしている……こんな未来が見えていたら、どうして子供を持とうなんて思ったでしょう。

後悔しても仕方がないけど、今はただただくたびれてしまっています。

また、街で見かけると知的障害者の方はなんといっても地域で生活でき、街を(多くの場合ひとりで)歩ける穏やかな気性です。優しく「こんにちは」と声をかけてくれるような人もいて、我が子もそんな風に育って欲しいなと思っていました。
しかしながら難しいだろうと今は思っています。外を一人で歩けないようなタイプのひとたちが、成人してどうしているか…というより家族の暮らしがどうであるか。それが気がかりで、すぐに塞いでしまいます。この先なにか、素晴らしいことがあるのかな、なにかに強く心を打たれることが起きるかな、そんな風にぼんやり考えてしまいます。

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