shirase

文章を書く練習帳として。 分からないを分からないのままで

shirase

文章を書く練習帳として。 分からないを分からないのままで

最近の記事

気にしすぎ日記

久々にわかりやすく体調不良になったよって話今ではすっかり元気になりましたが、先月末にいわゆる新型コロナに罹って1週間ほど寝込んでおりました。 友達と「最近また流行ってて身近にもなってる人いるからこわいねー気をつけようねー」なんてのんきに話をしていた矢先に自分が罹ったので、こういうフラグ回収は要らんのだよと悔しく思いながら養生しておりました。 年に一回熱出すかどうかというぬるい具合で生きているので、久々に分かりやすくダウンという感じです。自分が自覚する範囲では初のコロナ罹患

    • プロフィール帳の思い出

      私が小学生だった時、プロフィール帳というものがあった。 名前や住所、生年月日、呼ばれたいニックネームや趣味、特技、好きなものなどが書き込める欄が印刷された自己紹介カードを、新しく知り合った人に渡し、それを書いて返してもらい、その人を知る。 当時はそれをもとに誕生日をお祝いしたり、年賀状を書いたりしていた。 この文化は、今もあるのだろうか? 私はこの自己紹介カードを書くのがどうにも苦手だった。 周りのみんながやっているのだからと、自分もプロフィール帳を買ってもらい、人に書いて

      • とりあえず生きるしかないのか

        人生の正解について、つい考えてしまう。 12歳。早めの厨二病も相まって、人生への期待を完全に失くす。 20歳になったらそれ以降はもう生きないつもりでいた。 働いて人の役に立つ自分なんて想像つかなかったし、想像がついてしまうと生きる理由が出来てしまうみたいだから考えたくなかった。 なんやかんや、だらだらと、自殺する勇気もなく。 自分が世の役に立たない証明にばかり必死になって。側から見れば逃げてばかりだ。 生きることに疑念を抱くと、途端に世界が閉じる。 生きている真の理由なん

        • * ゆめのなかにいる*

          私いつまで生きていていいんだろう。 って、いつまで経っても私私で本当に何も変わっちゃいなくてそれでも 今日までこの身体が在る、ということは何かの間違いなのではないか。 何時ぞやの誰かを救ったロープの結び目みたいに何かが、私の命にひっかかって。 自分を騙し騙し生きるの阿呆らしいけどたぶんきっとみんなそうだし。 やっぱり私が居なくともその席には誰かが座って、じゃあ 何故生きてるかって訊かないで。 いつまで経っても自分の存在許されない気がするし何なら私が許さないし。 人生なんか

        気にしすぎ日記

          -

          君の視るゆめは、痛々しいほど淡く、儚いほど鮮烈にあるべきだ。 眼球に突き刺さる景色と言う名の 掴みたい事実と、 口から垂れ流される嘘と澱みと呪術。

          遺書を書く。

          遺書を書く。 何の法的な効力も持たない遺書を書く。 僕の大大大嫌いな手紙を書く。 式など要らない。 墓など要らない。 掛ける言葉も要らない。 一瞬たりとも思い出さなくていい。 そのきっかけの何一つ遺さなくていい。 ほんとうに誰にも頼る必要のないことで頼りたくなってしまう。 だがそこで何かに頼ってしまったら僕の何とやらに反するし ぜってー頼ってやんない。 尖らせて磨いて誇らしげに隠して持ち歩いていた言葉や思考にも いつの間にかあまり執着せずに済むようになった。素晴らしいこ

          遺書を書く。

          2015.12.7 月曜日

          私は本当に僕になろうとしている。 あの猫を追いかけようとしている。 今日はすこぶる機嫌が悪い。 でも感情が暴発してるからいいのさ。 この上なく憎らしいほど生き生きとしているのさ。 夕焼けは綺麗。カシスとオレンジ。 綺麗だというその心をどうか殺さないでと言ったお前に殺されようとしてるんだよ。 私が本当に行きたい場所はここにはない。 そんな割り切れない感情と仲良くなる気はない。 ブルーボネットの海で溺死したい。 荻の濁流に呑まれたい。 大量の藤の雨に沈みたい。 桜の嵐に蹂躙され

          2015.12.7 月曜日