見出し画像

蔦小話

友達の事務所にいくために環七沿いの道を歩いていたら、自転車が蔦にのみこまれつつありました。ああ、夏も近づく何夜目でしょうか。

私は、オイルショック生まれ、世紀末育ちなので、第三次世界大戦幻想からの終末思想が文化にしみわたっていたときに、脳にたくさんのコンテンツを詰め込んでいます。当時、ソビエト連邦の版図は限りなく広く、ジェームス・ボンドはいつもスラヴ系の金髪碧眼の頭目と戦っていました。だから、ダニエル・クレイグがボンドを演じていると、おまえ敵じゃん、と今も思ってしまってストーリーには集中できなくなりました。彼って東独のスパイっぽくない? それに加えてAKIRAが愛読書だったものですから。髪の毛が短かった大学の頃、鉄雄に似てると言われて光栄でした。

だから、人の手で管理されていない情景や、このあいだの一番最初のガチンコ緊急事態宣言のときの人っ子ひとりいない表参道みたいな異常な光景をみると、今考えると起きようはずもないような第三次世界大戦あとに廃墟が残り、少人数でかつての文明の名残を利用しながら細々と人類が生きていくような世界観をすぐに脳に召喚が可能です。

この特技を活かしつつ行う蔦のからまるというか蔦におかされている建物などの鑑賞が大変好きです。管理が行き届かなくなって、都市の大部分が緑にやられるのです。大体地球というものは、ってでっかい話をするやつにろくなものはおらんのだが、植物が生える地域では植物が生えているのが常態で、人間が住むところはそれが制御されている非常なわけで、気をぬくと植物は元に戻ろうとしてくるのです。その力はなかなかのもので、シンガポールに住む友人に会いに行って、あこがれのシンガポール植物園を見てきたあとに「あれ、たぶん1ヶ月もほったらかしたら、ジャングルに飲み込まれて終わるよ」と言わて納得しました。熱帯の植物は、日本の植物の比じゃないくらい、自分の繁殖地を広げようと虎視眈々とスキマを探している気がします。蔓が鞭のように、でもゆっくりとしなって立ち上がり、あたりを見回しているイメージね。植物は建造物に根をはり水分を吸い上げ、破壊していきます。ジャングルに沈んでいくアンコールワット遺跡のそばのタ・プローム寺院跡からイメージを拝借ね。後日、ビルの高層階でごはんをたべていて、下界をのぞきこんでみると、人間が本当にがんばって緑を制御しているのがすごくよく理解できました。シンガポールの外では緑が爆発していました。

日本は、冬というものがきて年に一回が駆逐されるので、まだいいのかもしれないともおもいましたが、死んだ蔦は己の養分ともなり、また翌年に蔦は派手に繁茂していくことになるので結局そのちからはいっしょなのかもしれないなあ。今年も派手に蔦にからまれている建物をたくさん見られますように。