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天草騒動 「52. 黒田家の先鋒の戦いの事」

 鍋島甲斐守殿はしきりに下知して押し登り、先鋒の五千人余りが出丸の松山を乗っ取って、旗を数十流押し立てた。そして、次は二の丸の本陣を乗っ取ろうと槍を取り、鉄砲を配った。

 甲斐守殿が勇猛に進み、すでに二の丸に乗り込もうとした時、不思議にも甲斐守殿の乗馬が突然身震いしていなないた。甲斐守殿が不思議に思って馬から下りたところ、この馬は二三度くるくると回って突然息絶えてしまった。

 これは、例の乳母の一念がこの馬に乗り移っていたのである。これからの戦いは、道が狭くて馬上では不自由で、ここからは歩行かち立ちの方が便利なため、ここで甲斐守殿の身に乗り移ったのである。幻のように姿を現して甲斐守殿の危難を助け、功名を遂げさせたのも、この乳母の念力であった。

 さて、黒田右衛門佐殿は、今朝鍋島甲斐守殿が抜け駆けするのを見て、

「これまで御軍令を守って、敢えて城攻めはしなかったが、鍋島家が攻めかけたからにはこちらも引けを取ってはならない。城内ではすでに兵糧や弾薬が尽きて飢えているから防ぐ力はなかろう。石や材木を投げてきてもたいしたことはあるまい。鉄砲を激しく撃ってきたら死骸を楯にして攻め登れ。」と下知し、二万八千人余りで鬨の声をあげながら、大手に一面に散開して攻め登った。

 城兵はいまだ少しも屈せず、鉄砲、石、材木を打ちかけて、ここを先途せんどと寄せ手を防いだ。

 この場所を守っていた大将の千々輪五郎左衛門や組頭の布津村代右衛門、菅沼善兵衛、原田清右衛門、軒山善大夫を始めとする一揆の面々が四方に走りまわって働いたが、今回は以前と違ってすでに弾薬も尽き果てていたので棒火矢を撃つこともできなかった。

 寄せ手もそれに気付き、黒田三左衛門が、「短兵急に攻めたてよ。」と下知した。

 物頭ものがしらこおり平左衛門、大藤市左衛門、野村一郎らが先頭に立って進んだので、渡邊七郎大夫、箕浦喜兵衛、飯田主馬らの配下が城の間近に取り付き、堀に竹束を渡して大手を乗り破ろうとした。

 そこに城内から、あらかじめ用意してあった数十本の水弾みずはじきで糞尿を弾きかけたので、黒田家の軍勢はその言いようのない不潔さに辟易し、皆、鼻を押えて逃げ去った。

 これによって、ひとまず虎口を破られずにすんだ。


53. 細川家総攻撃の事

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