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今までの自分を振り返る【小学生〜中学生】

しらこぐらたんがどうやって生きてきたか、第二弾です。
今回は内容量が多いかもです。

小学生

まず最初に私の家庭について触れておきます。
母親は過干渉で過保護、所謂毒親だったと思います。
遊ぶ友達も「あの子は親がヤンキーだから遊んだらダメ」などと言われ制限されていました。まあ気持ちはわからなくもないですが当時は「あの子は優しいし楽しいのになんで!」と思っていましたね。

母は手や物で私を(弟も)叩いたりもありました。
ガムテープで口を塞がれたり、外に追い出したり、引きずられたりなどもありました。
母に引っ張られたときに足をぶつけて、指を折ったこともあります。
小学生のときはめちゃくちゃ母親に怒られてましたね。反抗期でしたずっと。

当時、唯一の救いは今は他界している父方の祖母でした。
長期休みは必ず父方の祖父母の家に預けられてました。祖母はいつも優しくて、母から私を守ってくれていたと思います。
母親から「好き 愛してる」と言われたことはないですが、祖母は言ってくれていたし私のことが大好きなんだと伝わっていました。
本当に祖母には感謝しています。
祖母が亡くなった時は葬儀場で引くくらい泣きましたね。多分親が亡くなってもあそこまで泣けないです。

ここからは実際の小学生の頃のエピソードを書きます。
小学生の時の通知帳には「落ち着きがない」と書かれることが多かったです。
故意ではないですが窓ガラスを割ったこともあります。
勉強はできる方でした。当時はテストで90〜100点取れない方がおかしいと思っていたので、90点以下の時はかなりショックだったのを覚えています。

アニメやゲーム、漫画などが好きになったのも小学生くらいからです。

習い事は進研ゼミと習字とバレーボールをやってました。

小5くらいからずっと好きな人がいて、多分彼とは両思いだったと思います。
中学は別だったし告白はできなかったので何も進展はなかったですが。

小学生はわりと楽しかったと思います。


中学生

中学に上がるときに転校したので、最初は全く知っている人がいなくて怖かったのを覚えています。

部活はバレーボールをやっていました。
髪を短くしないといけないくらい厳しい部活でした。本当なんであの部活に入ったのか今でもよくわかりません。下手だったのでレギュラーになれないのはわかっていたのに、なんで続けていたのか甚だ疑問です。

中3に上がる時にまた転校しました。
このタイミングでの転校は嬉しかった記憶があります。バレーボールを辞められるし友達も全然いなかったので。
ただ、次の中学校でも友達はほぼできませんでしたね。ハブられたりもして辛かったです。数少ない友達ですら、私のことはそんなに好きじゃなかったと思います。
ハブられたり友達に好かれなかった原因は、私が男の子と仲良くしたり調子に乗っていたり、先生に好かれるタイプの人間だったり、思ったことをなんでも言ってたからかなと今では思います。本当、調子に乗りすぎでした。

受験勉強も頑張りましたが、目標にしていた高校には受かるか受からないかギリギリだったので、ひとつ下の公立高校を受験しました。(合格しましたよ)

中学時代の記憶はほぼ無いですね。
楽しくなかったです。自分のせいなのですが。

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