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ハノイの本棚から/『セロトニン』ミシェル・ウェルベック=著 関口涼子=訳 河出書房新社刊(2019)

セロトニンは人が死ぬ間際に脳細胞から分泌される神経伝達物質のことです。
立花さんの『臨死体験』によれば、人間は誰でもそうなるようにプログラミングされています。
脳への血液の流れが滞って酸欠状態になって、脳細胞が死に始めるとセロトニンよ、出ろ、みたいな感じで染み出てきます。

その効果で苦しみから解放されて、薄い意識の中で御花畑が見えたり、明るい光に導かれたりして、キモチよく最後の瞬間を迎えます。
最後のスイッチ。人間のカラダはホントによくできている。
ごく一部の人は呼び返されて死なずに戻って来る、それが臨死体験です。

ある種の鬱病の薬を飲むとセロトニンが分泌されて症状が和らぎます。
この小説は「悲しみで死にかけているオトコ」が主人公で、それを飲みながら、過去の輝かしい女性関係の回想と、泥沼の今の話が交互に進んで行きます。
重苦し過ぎる悲惨な物語で、コ口ナ禍下の孤独と行き詰まりの中で読むのはリスクがありますが、リスクを取らないのが最大のリスクよ、というワケで、以前読んだこれをまた読み返した次第です。

最初に読んだのは去年の1月、旧正月に行ったラオスのホテルででした。本に栞替わりのラオス紙幣が挟まっていたので思い出した。なければ思い出さない。最近のワタシの記憶力はそんなです。
コロナのニュースは既に出始めていて、道端で咳き込む中国人旅行者も見かけたけど、その先に起こる数百年に一度の人類の危機の予兆は、鈍感にも感じませんでした。
今となっては控えめに言っても、1年後のセカイがどうなっているかなんて誰にもわからない。

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出だしにカネ持ちのニッポン人女性が主人公のオンナとして登場します。
これがまたいきなり悲惨な描写で、このオンナのせいでオレのジンセイ終わったみたいな書き方。
好意的な表現は皆無で、動物か化け物みたいに書いています。一方でヨーロッパ人から見たニッポン人って、だいたいこんなもんだろうと思えるところもあります。

訳者のあとがきには、この小説は蒸発とひきこもりがテーマで、それはニッポン発祥の社会現象としてフランスで受け取られていて、そのことの象徴としてニッポン人女性が登場しているのだと。
ほかにもニッポンのことはしばしば出ます。主人公のベンツ以外、車は全部ニッサン。
悪く、ほとんど人種差別的に書いているけど東洋系は嫌いじゃないんでしょう。最近若い中国人と結婚したらしいし。

中心的な背景は意外にもフランス農業の行き詰まりみたいなことです。
農業専門学校を出たエリートの主人公が、生きることに疲れ果てた末に蒸発して、数少ない学生時代の友人に会いに行き、その友人がフランス経済のグローバル化の影響で農業経営に行き詰って、つまりはフランス産の牛乳やチーズが国際競争力を失って、生きる希望を失い、農家の仲間と一緒に銃と爆弾を持ってテロを起こしに行きながら結局ジブンに銃を向けて死にます。

そんな風にキワメテ現実的なシャカイ問題を取り上げて、その問題の背後で起きているニンゲンの激しい内面的な変化みたいなことを炙り出していくのがこの作家の作品の特徴です。
と一言で言うと普通っぽく聞こえるでしょうが、全然普通じゃありません。

そのあと主人公は昔の女に会いたいと思って、郊外の森の中のその女の家のすぐ近くまで行き双眼鏡で家の中を覗いたりして、その女をもう一度ジブンのものにしようとしながら結局できず、すべてを失ったキモチになってパリに戻り、どこにでもある普通の高層アパートの部屋に引きこもり、壁の一面に過去の写真を何千枚か貼って、それを見ながら悲しみで最後の崩壊に向かいます。

あり得ない展開ですが、深い共感を禁じ得ない。


ミシェル・ウェルベックはフランス人の、本人も農業のエリート学校を出て、多少その分野でシゴトした後ココロを病んで、回復してから作家になった人です。
フランスでは一部の人の間で熱狂的に支持され、ノーベル賞もウワサされています。

フランスがイスラム主義の国になったり、ジブン自身が登場して惨殺されたり、際どい内容の作品ばかり書いています。
一番話題になったのは2作目の『プラットフォーム』で、ヨーロッパ人の東南アジア買い春ツアーがテーマです。
最後にディスコかクラブみたいなところが爆破されるのが、発表して数年後にほぼそのままバリ島で現実に起きて、予言者みたいに言われました。

長編はこれで6作目。どれも強烈な毒入りです。

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